2020年12月4日金曜日

20201204 夜

11:00 現在、コーヒーはすでに二杯目。コロンビアとボリビアの残りの混合。たっぷりな量。なにかの酸っぱい果実の香りがするがなんだったか思い出せない。グレープフルーツの皮か、もっと青い柑橘のなにかか、全然別の何かかも知れない。

記憶の、その上澄みの手触りの印象というか、あれはいったいなんなのか。喉奥に突っ込まれるぬたりとゴム状のなにかであるとか、そうしたものがいくつかある。思い出せない記憶というのはしかし意識の視界から完全に身を眩ませているのでは決してなく、絶えず奇妙な体勢に身を捻っては密集して、日々の経験の背景を成している。味覚の記述というのは一面ではそうしたもどかしさ、不気味さとの対峙と組織化の過程だったりする。その脱臭であったりも、また。

二日ぶりだか、さっぱりと快晴だ。昨日も結局届くことはなかった品が、今朝ようやく届いた。置き配ではなく手渡しで、配達員の方はとても元気のいい方だった。ポリウレタンの薄ピンク色のマスク越しにもはっきりと眩しい笑顔、こんな笑顔を前にして言葉を交わすのも久々に思う。それに見合う反応を返しきれてはいただろうかと些か不安に思う(誤解が無いように記しておくと、私が笑顔を嫌うと言っても、それは笑顔を強要する規律への不信ゆえなのであって、個々の笑顔や笑顔へ向けた努力に対してはむしろこれに敬意をもって応えたいと思っている)。

耐えがたく昨日もまた買い出しに出た。あまり行かない方面のスーパー。人混みを避けて大通りから外れ、しょぼくれた住宅街を抜けて歩いた。長年放置されて蔦だらけだった民家が綺麗さっぱり取り壊されており、その奥に敷地はL字型に延びて、そこにちょっとした庭があったことを初めて知った。長いこと閉鎖されていた川沿いの道がいつの間にやらまた開いている。のろのろと橋上を流れる車の群れが垂れ流す光が黒い川面にぬらぬらと輝いている。豪奢な老人ホームのオレンジ色の照明が周囲から隔絶されて燦然と輝いている。民家が建てかけのまま放置されて、2×4に組まれた木材が雨に黒ずんで夕闇にぬっと網を掛けている。スーパーには金箔入りの日本酒の陳列が白色蛍光灯の下でかしましい。 

またしても眠れぬ夜であった。乗れない自転車にも似た、捉え所なくのっぺりと黒い明けらかならなさに頭を預ける。意識は自らを忘れる能力をも込みでそれは意識だ。昼の輪郭を研ぎ出そうと夜はずらりと流れて低い。記憶がぷつりぷつりと泡を吹いては浮かんでいく。それが水面に達するまでの幾ばくかの時間。









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