2019年9月27日金曜日

「サトラレ」を恐れて。なんちゃって。

子供の頃に『サトラレ』を観て以来、たぶん私には思考というものが無い。


『サトラレ』は自分の思っていることが片っ端から周囲に伝わってしまう特異体質(=サトラレ)を持つ主人公と、その事実を本人に隠しつつ周囲とのトラブルを調整する「対策委員会」他の人々たちの物語だ。
もとは佐藤マコトによる漫画作品で、2001年には映画化、2002年にはテレビドラマ化されている。私が観たのはこのテレビドラマ版だった。

この作品の設定は当時小学4年生だった私に静かな、しかし今に至るまで決して絶えることない根深い恐怖心を植え付けた。

私がサトラレだったとしたら?私のこの虚勢も怠惰も、薄い悲哀も、安い快も、余すところなく筒抜けだったとしたら?なにより、そうした一片の素朴な想像に対して子供なりに裏の裏のそのまた裏をとったつもりの疑念を弄したところで、さらにはたとえその疑念になんらかの結論が与えられようとも、そのはてに私に残された安寧など端から有りはせず、全てはただはじめの恐怖だけをそのままにひとり相撲に終わるのだという、逃げ場のない絶望が、物心のようやく芽生えて間もない子供にとっていかばかりのものか(まあ、昔から思い込みが激しい子供だったのだ)。 



そうした恐怖は私の思考の習慣にはっきりと変化をもたらした。「私がサトラレだったとしたら?」知られるに気恥ずかしい趣味嗜好や悪戯、悪行などとは違って、隠蔽工作は何の役にも立たない。なんといっても「隠せないこと」それ自体がその特徴なのだから。

思考の内容に検討を加えることは可能でも、思考それ自体を別の思考によって操作することは不可能だ。思考を無みする思考は存在しない。  

そこで私が選んだ道はといえば、思考のすべてを「なんちゃって」化することだった(*)。すべての思考を等しく「思ってみただけ」として、その中身を他の任意の思考に交換可能な括弧で囲い、際限なく増殖させること。「本心」を隠匿するのではなく、あたかも全球が点灯状態の電光掲示板のように、なんとでも読める以上何も意味しない「なんちゃって」の飽和のうちに「本心」そのものを塗り潰し抹殺すること。


『サトラレ』を観て以来、たぶん私には思考というものがない。あるのはただ明滅する印象ばかりで、口が、手が、私の外側からそれらを掬い上げては、音に、文字に託つけて、それらを辛うじて縫い留めていく。



*ちなみに永井均があらゆる言語活動の可能性の条件として提唱している「超越論的なんちゃってビリティ」という概念のことを知ったのは高校生の頃、なんとなく木村大治『括弧の意味論』を読んでのことだったか(もちろん当時はこれらを関連付けたことはなかったけれど)。
――wikipedia「超越論的なんちゃってビリティ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E8%B6%8A%E8%AB%96%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3





2019年9月25日水曜日

人に集うか、場に寄るか?ヤフオクとメルカリとを分かつ二つの空間観


作品とかコンテンツなどと呼び習わされるものがたゆたうことになる空間を織り上げる経/緯の糸として、「人/場」という対が考えられると思う。あるいは「人=author / 場=topic」と言い換えてみても良いかもしれない。


ひとまずの例として、ヤフオクとメルカリとがこの「人/場」の対のそれぞれを代表してくれるかと思う。

ヤフオクのおおまかな雰囲気はと言えば、いろいろな人がめいめいビニルシートを広げて青空市を開いているような感じだ。出品者たちはそれぞれ自分のお店の売り込みに熱心で、店構えにも気を配り、品揃えにも衣料なら衣料、書籍なら書籍いっぽんというように統一されていることも少なくない。しぜん品揃えが良質だったり提示額が破格だったりする出品者はお得意様や、購入までには至らないものの品揃え自体を楽しむフォロワーも多く抱えることになる。

システム面からいえば、同一期間中に複数出品できるのは有料会員だけというのもその傾向を後押ししている。月ごとにお金を払っている以上定期的に出品できるだけの納品が見込める人が集まってくるのは当然の結果だろう。実店舗を持つ店がオンライン店舗代わりに活用している例もよく見かけた。


それに対してメルカリは、もっとずっとドライな売買斡旋のプラットフォームで、もっぱらの使い方は狙っている商品名やブランド名を検索窓に直入れし、出てきた結果から良いものを絞り込むというものだろう。よい品を見つけたからといって同一出品者のほかの出品物まで吟味することはまれであろうし、あえてそうしたところで見ることになるものといえば、衣類やらマンガ本やら雑誌の付録やら、雑多な品々がごちゃまぜに並び各々日の目を見るのを待つ様子である。

購入が確定されるまで出品者と購入希望者は直接やり取りすることは許されず(Twitter でいうならば、ダイレクトメールはもちろんのこと、@による公開やり取りも実装されておらず、個々の出品ページごとの掲示板でエアリプを飛ばし合うような状態)、出品者のフォロー機能も用意こそされてはいるものの、検索窓からユーザー名を直接検索することも不可能である以上、ユーザー同士の直接の交流を極力避けることで安全性を確保する、ほぼ完全に出品物中心の体制だ。

出品者という人=author  を中心に編成されたヤフオクとは対照的に、メルカリはカテゴリやブランドを単位とする検索の網目で編成された「場=topic」ベースの空間と言えるだろう。


ところであなたは美術館に行ったとき、絵画や彫刻作品の傍らに小さく記された作家名を確認するだろうか。美術館に行き慣れた人であれば、(少なくとも観るに値すると思われた作品に関しては)そんなことは当然だと思うかもしれない。しかし多分それは決して自明の行動ではなくて、世には「なんか良さげな絵がいっぱい掛かっている空間」として展示室を放浪する人々もたくさんいる。というかそちらのほうが多数派だろう(怪訝に思うあなただって植物園で品種名を見るか?キク園で栽培者名を見るか?と問われるとだんだん怪しくなってくるはずだ)。

人がなぜ作品の作者名を気にかけるのかという問いの答えはシンプルで、それは「好みの作品を効率的に探す」ことを目的に据えた場合、それを検索するタグとして作者名が最も手っ取り早いからにほかならない。それほどまでに作者は、作者の人格とその反映としての作風の一貫性という発想は、信頼されている。名は強い。美術なり、文学なり、少なくともその枠組みに関心を寄せる者たちにとって、その枠組の内部において。

Twitterをはじめ、SNSはユーザーアカウントという「人」を単位として設計されるのがもはや当たり前というようにさえ思える。そして「人」ベースである以上、いつかそれらはその源の死を迎えることになる。サーバーに静かに降り積もる無数のアカウントの抜け殻。


それほどまでに作家主義の世界観は深く根付いている。しかしそれは絶対のものではないはずだ。
(未だにどういうものかよくわからない上に出処が不確かな情報で申し訳ないが)どこかで耳にした誰かの発言に、Tik Tok の優れた点のひとつとして、そのコンテンツが面白くさえあれば、著名度などなくても勝手に盛り上がる場を作ったという点を挙げているがあった。個々のお題の下に、ごく短い動画が無数に群がる。

はてな匿名ダイアリーだってその名の通り「匿名」なわけだし、もっと遡れば「2ch」(とそのコピペ)という文化とてそちら側にある。また個々数年のいわゆる「なろう系」文化にみられる、その小説の売りどころを叫ぶ短文をそのまま題名にしてしまうような身も蓋もない振る舞いも、そうした環境への適応の帰結に他ならない。 

あるいは美術の文脈で言うならば、コーリン・ロウとマイケル・フリードを受けて岡崎乾二郎たちが唱えた「場所をあてにしないこと」とも(「場所」という語の用語法の相違ゆえに逆に見えるが、まあ部分的には)ある程度関わってくることだとも思う。

あるいは「誰でも15分間はスターになれる」というウォーホルの言葉は、そうした場の発展と、そこにうごめく無数の名無したちの姿を予告するものではなかったか。

べつにそうした「場」の生成をあるべき未来として期待しているわけではない。むしろそれは少なからず殺伐として、息苦しく、世界に容易に転がり込みうるものだと思う。しかしそれでもどこか期待しているのだろう。住所録の書き直しに、敷地を区分ける線の引き直しに。あるいはその果て、一切の作者(人間か、そうでないかを問わず、一切の制作主体)を無しに、ただひとりでにふつふつとものが湧き出す場どもに。そうした破局への開かれに。


○補遺?○

ここまで書いておいてなんだが、この「人/場」という対への位置づけは絶対的なものではない。

上の例についてもたとえば「ブランド名」について、メルカリというプラットフォームにおける位置づけとして「場=topic」として扱ったが、それは衣料ブランド全体という枠組みとの関係においてそれは言うまでもなく「人=author」の側に位置づけられる。

またファッション業界において創業者の名を関したブランドのデザイナーが創業者の引退を待たずしてたびたび変わったり、あろうことか自身の名を冠するブランドを抱えながら他所のブランドのデザインを請け負ったりすることはよくあることであり、たとえば「エルメスのマルジェラ期」(*)と表現されるときの人名「マルジェラ」は、ブランド名「エルメス」を枠とした「場=topic」として機能しているとも言える。

*創業者エルメスは当然ながらもはや関与していない「エルメス」のデザイナーを1997年から2003にかけて担当したマルタン・マルジェラの名を関する「メゾン・マルジェラ」のディレクターを2014年以降努めているのは、その3年前「ジョン・ガリアーノ」のデザイナーを解任されて以来沈黙していたジョン・ガリアーノであり、また「エルメス」におけるマルジェラの後継としてはかつてマルジェラが働いた「ジャン=ポール・ゴルチエ」のデザイナーであるジャン=ポール・ゴルチエが兼任という形で就任している。

こういったあたりを見る限り、「人/場」という対そのものよりも、むしろその一方から他方への投射、移行の方に注目すべきなのかもしれない。


2019年9月20日金曜日

SNSは「臨機応変なサービス」を殺す

接客業を想定した話だ。

店員側がその場のごく個別的な事情を鑑みたり、あるいは「ちょっと興が乗ったから」といった気の紛れでとったその場限りの対応が、しかし客の手によってSNS上にすぐさま記録され共有されてしまうのならば、それがそのサービスの機転に対する感謝や賞賛であろうともお構いなしに、「万人に対して別け隔てなく同等のサービスを提供せよ」という匿名の圧力として機能してしまう。

「期に臨み変に応ず」とは、ある関係が「その都度それ限りである」ことを前提としてはじめて成立するものだ。

SNSはサービスを限りなく平準化する方向にしか働かないだろう。

2019年9月17日火曜日

とてもながいなにかに名前をつけること:関真奈美「敷地|Site」


国分寺駅から武蔵美を目指していくらか歩いたところで、どうやら尋ねられ顔をしている私はその日もひとりの女性に「線路ってどこかしら」と呼び止められた。

困った。駅ならともかく線路となると長すぎて指差すわけにもいかないし、かてて加えて生憎ここらはJRは中央線と武蔵野線とが十文字を成す上そこに西武の国分寺線と多摩湖線とが互いに煮え切らない角度に広がりながら交わったり交わらなかったりしており、なおのこと答えるにあぶなっかしい。
まあ私自身ほんのその十数分前に得たばかりだったそんな知識は結果としてそれなりに役に立ち、そこから西武多摩湖線に突き当たる一本の道を示してことなきを得た。

玉川上水づたいにようやく辿り着いた武蔵美の閑散とした食堂で海南鶏飯(らしい)を食べた後、同敷地内のGallery of The Fine Art Laboratory にて関真奈美「敷地|Site」を見る。

真四角でワンルームの展示空間をどう廻るべきかは鑑賞者にとっていつだって最大の悩みの種のひとつであるけれど、その点について言えばこの展示はいくらか親切で、壁に貼られた写真のその傍らにはそれぞれに短い文章が添えられており、その文章は横書きで、しぜん私はその向きに付き従って室内を時計回りに廻り始める。しかし間もなく、室内に点在する台座の上のオブジェのそれぞれが壁の写真と対応していることに気づいたりして、仕方がないので壁づたいは適当なところで中断されて、時折台座の間を彷徨い歩くことになる。

私たちの視野と記憶はかなり狭く限られており、次のオブジェに向かって歩を進めた瞬間には大抵すでに前のオブジェの記憶の大半は霧散していて、だから私たちはそれがまだ目前にあるうちに写真を撮ってお守りにしておいたりするのだが、オブジェが写真になったところで結局最後に見るのが私であることには変わりなく、結局のところそれらを適当にブツ切りして消化を促すよりほかにない。

部分部分にブツ切りされた対象は、しかしそのままでは腕はただ腕であり脚はただ脚であるばかりであって互いに関係を結ばない。モナドには互いに目配せする窓がないのであり、何かしらの外部の力に依ってそれらを和え纏める必要がある。かつては神へと丸投げできたその役目も、今となってはその間接因果の構図はそのままに、人間の経験の方へと裏返されている。私たちは世界を、まるで自らの身体のように区切り、またまとめ上げる。

この室内に散らばる諸々を「敷地|Site」というひとつの展示へとまとめ上げるのもまたその経験を通してである。まずはもちろん鑑賞者の身体のそれではあるが、しかしこの展示においてはそれに先回りするもうひとつの身体、台座の上の棒人間たちの身体を見逃すことはできないだろう。
室内に点在する台座のそれぞれには幾筋かの針金が、互いに凭れ掛かり合うようにして、なかば崩折れながらも立っている。そしてその傍らに添えられた写真が示すのは、その針金がかつて棒人形状に人型を成しており、壁に掲げられた写真に映る人物を模したポーズでその壁際に立っていた、いつかの時点の記録である。
 
ここで壁際にポーズを決める棒人間の姿とは、写真の画面の色の布置を背景を立地 position として直立し、特定の姿 posture の内に静止 pause する 「人物写真」として切り出し=統合する鑑賞者の姿であり、それと同時にその身体を成している絡み合う5本の針金とは「四肢+一胴=五体」という五人一組 member から成る肢体 membrum へと分節された身体に他ならない。
かつて彼らがその内にあったポーズはすでに見る影もなく失われても、絡まりあう針金の数は依然5本のままであり、その肢体の文節はなお維持されている。鑑賞者によっていま再びかつての、あるいはあらたな、ポーズの内に読み返されるれるのを待ち伏せている。
 

ここで藪から棒にひとつの疑問がある。名付けるとは、対象の全貌をいちどに視界におさめ、それをひとつの統一として、その輪郭を言葉で縁取ることだとすれば、しかしそれが叶わぬほどに「とてもながいなにか」を名付けるには一体どうすればよいのだろうか。例えば私が小平市の広がりやかたちを知るべく Google Maps の画面を拡縮するように、対象の一望が可能になる距離まで視点を後退させればよいだろうか。

しかしここでの悩ましき対象は「おおきい」のではなく「ながい」のであった。
JR中央線の全容を視界に収めようと地図をズームアウトするほどに、東京を東西に貫くその用地はいよいよおぼろげな線となり、しまいにはその名を示す文字とともに消えてしまう。ズームインしたらそれはそれで、線路を表す薄灰色の長い長い線沿いのどこに路線名が記されているものかと画面をこねくりまわす羽目になる。


とてもながい、とは、たとえば立方体が次元をまたいだ反復を逆向きに辿り返す(ズームアウトする)ことでなめらかに針穴へと解消されてしまうのと逆の有り様であろう。常に他の次元へとつっかい棒を差し挟んで抵抗するような有り様、ひとつの敷地がひとつの語、ひとつの住所へと解消されることを拒み、いくつもの敷地を横切り、それらを横目に疾駆していく、場所なき場所としての鉄道のような有り様。消失点(それの担い手が神であれ、あるいはそれと画面を挟んで向かい合う私たちであれ)から発してすべてを飲み込みながら花開く一点透視図法の錐体を絶えず食み出していくこと。

再び今回の展示空間の有り様に立ち戻るなら、たとえば第一の鑑賞者としての針金たちが立つ台座のそれぞれは、それに対応する壁際の写真等々を視界のうちに捉えるべく、まず一旦は透視図法の錐体の場に乗って後退る。しかし部屋の広さは限られている以上、ワンルームの壁面三方から部屋中央に向けて背中合わせに押し込まれたそれらはしまいにはすれ違いあい、結果壁面と台座を結ぶ錐体は互いに交差し侵食しあうことになる(思い出すのは先述の、4路線に囲まれたなか「線路はどこ?」と問われる困惑だ)。

あるいは展示室の一面がまるまるガラス張りになっているのを良いことに、いっそのこと部屋から数歩後退ったところから、この部屋そのものをまるごとひとつのオブジェクトとして回収しようとする者があるかもしれない。ところが周到なことに、ガラス面と向き合う壁面には「うしろ」の文字が、"鏡文字で"記されている。すなわち、「室内から見られる限りで鏡として機能するところのガラス張り」を作品の構造の内にあらかじめ組み込む仕掛けが施してある。


意味作用の差し引き零への清算をひたすら先送りにする滞留は、隠喩的特異によってサイト−スペシフィックに絶ち貫かれることもなく、ものとものとを隣接させつつそれらの間をすり抜けていく。
「敷地|Site」の名状しがたさ。それは自らを自らへと食み出させるように、無限に訴えることなく、無限を待つまでもなく、ただここにおいて逃れようのない横溢である。



2019年9月6日金曜日

白々しさの使用価値

昔観たときにはただただ白々しいばかりで見るに堪えないと思っていた映画などを、何年か経て改めて見直したところなかなかどうして面白い、と思い直すことが、この頃何度かあった。

背後にある難解なテーマを解せるようになった、というような殊勝な話ではない。ただ、かつて私を襲った白々しさは、実のところそれ自体が十分個々に検討するに値する指標であり、そしてその何割かは確かにそれを惹起したところの作品において、主要な役目を果たしていたらしい、ということだ。

私たちに「白々しい」と思わせる作品とは、ひとまず私たちに「手の内が見えている」と思わせる作品である。ありきたりな紋切り型、その型に照らせば展開なり帰結なりが白々と見え透いており、あらためて眼前のその作品による実演を待つまでもない。

見るまでもなく見え透いている、それゆえ見ている時間が勿体無い……そうなのだろうか?順番が逆なのではないか。いま眼前にしている作品の向こうに、いやむしろ手前に、そうした型を見て取っている、見て取ってしまう私がいること、「白々しさ」が私たちを導くのはそうした現実への反省ではないか。


アニメ版『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主人公のヘタレっぷりや『天気の子』の喧しいまでのスジ違いは畢竟、自らの拠って立つ足場に他ならない物語という制度そのものを一旦御破算にせんという宣言、「俺はこれを物語にはするまい」というもごもごとした叫びではなかったか。

白々しさは私たちに逆行を促す。逆行がもはや逆行とは呼ばれ得ない時点、順行/逆行の別そのものの起源への遡行を促す。


2019年8月9日金曜日

夏休みの工作かしら

やる気無さすぎて特に何もしないままニート生活三ヶ月目突入致しましたる私はこの頃時に手慰みに時に必要に駆り立てられて工作をしてみたりする私であったりしますが本日は肥後守で蝋燭を削って月に二回我が家にコーヒー豆を届けるゆうパケット規格準拠の厚紙一枚折りの梱包資材を蝋引きしてステーショナリーケースに見立ててみたりブルーボトルの豆の紙袋を切って折ってやはり蝋引きしてポケットティッシュカバーを試作してみたり高校時代の書道の時間に買ったか貰ったかしたちょっといい半紙に型取りしたりブンマワシを千鳥足に這わせたりして破れた扇子の紙に裏張りしようという幾分無謀にも思える試みに取り掛かってみたりしていた暑いのは駄目だ。


余談だがこの扇子はたしか中学時代の修学旅行の際に清水寺参道の店で買ったもので、子供の土産物でありせいぜい二千円程のものであったはずだが、今見てもなかなか造りは悪くないように思う。竹を描いた墨絵風の絵柄や煤色の骨に灰色の扇面の色遣いも日用にうるさくなく、十年以上経て当初は母の顔を顰めさせた香もとうに失せ、扇面もぼろぼろになった今でもお気に入りとして手元に放って置いてある。

要はもともと値段相応の樹脂製のもので、これはわりかしすぐに壊れたのだが、当時の私はこれに替えて竹串を挿し、削った両端に学校の竹箒から採った枝を加工したものをはめ込んで修理した。この出来栄えは今に至るまでの私の工作の成果のなかでも最高のものだと自負している。

そういえばこれを買って間もない頃だったと思うが、百円ショップで少しずつ「扇子」−−バルサ板みたいな白くてフワフワスカスカな竹材に位置がバラバラな透かし彫りが施された骨に糊で固めた手ぬぐいのような布地がベッタリ貼り付けられたものがぐしゃっと束ねられた何か−−が並ぶようになった。そのクオリティはほとんど代わり映えしないままに今ではすっかり夏の定番商品であり、近年の猛暑に押されるように街中でもしばしば見かけるようになった(今年に関しては手持ちファンのシェアが圧倒的なように見えるが)。若かりし頃の私も扇子を105円(5%!)で買えることへの驚きを胸に一本買い求め、まあ案の定間もなくそれは何かよくわからないクチュクチュに成り果てていたどうでも良いような記憶があるが、しかしその後何年かあとの私を驚かせたのはそれが意外なほどに市民権を得ていることだった。若年層ならいざしらず、いい歳した大人が駅のホームであのクチュクチュをバッサバッサしていたのは一体全体何だったのだろうか。


扇子のセンスの話でした。厭や敏や夏は駄目ですね。


2019年7月15日月曜日

やめること(の悦び)。日々の小さなカタストロフ。

やめよう、と、前触れなしに思い至ることがある。というか、思い至ったときにはすでに終わっている。やめるというよりは終わる。(私の?)なかでぷつりと終わったその何かの残滓にかこつけて、その断絶をそれでも囲い込むべく、「やめたのだ」− と− 私は、後追いでそう唱えるのかもしれない。

そうして終わったそれらは大抵、それこそやめるという選択肢に思い至らないほどに、かつて私の日々の奥深くに食い込んでいたもので、しかしそれらを失くした余生になお生きてある私がそれゆえに気づくのは、それらが結局夢でしかなかった、ファンタジーに過ぎなかった、という事実である。

あとから思い返せばどれほど荒唐無稽なものであれ、夢見る当人たちにとってはそれこそが自然−環境に他ならない。そんな夢から醒めたその都度喪失感に苛まれることがないのと同じように、「やめた(のだ)」何かの最後もまた決断はおろか微塵の葛藤もなしの藪から棒の出来事であり、事後もやはり喪失感に沈むどころか過去の自分ごとそっくり書き換えられたようにそれは消え去って、だから私の記憶からその出来事の実例を引き出してくるのはいささか難しい。

ただしその残り香はどこか快感にも似るように思う。過去の自分をそっくり背後に捨て去ること、そうした日々の小さな破局の末端にある今この時もあるいは同じ道を辿るかも知れないし、辿らないかも知れないこと、そんなことを今の私は知る由もないこと、への安堵。
私に希望のようなものがあるとするならば、それは後ろ向きに開けている。

たとえば今回のそれがTwitterでありInstagramであったのは、それらの性質や価値の如何とはさしあたり関係がない(お望みならいくらでも動機を後追いで挙げ連ねることができようが、たとえできたところで、あるいはできなかったところで、同じことだ)。たまたまそこにあったのがそれらであった、ただそれだけのことだ。

帰省先、眼下に青い田畑を臨む高台の眺めの下に迎えた今回の破局のその数日後、TとIのない帰りの列車では、昔のセールでkindleに入れておいた『勉強の哲学』(千葉雅也)の久々の読み返しがはかどった。勉強もまた破局なのだ。ファンタズムを横断していくこと。あるマゾヒズムから別のマゾヒズムへ。そして世界の可能性の横溢を、二重のレベルで、ほどほどに殺していくこと。

懐疑ではなく。懐疑機械の循環=回路の裏をかく、千夜一夜のユーモア。そのたびごとにただひとつ、御伽話とその目覚め。日々の小さなカタストロフ。



 

2019年7月2日火曜日

*この期に及んで夏休み日記:その12*馬鹿でかい文字、小さい文字

ときに街中で、馬鹿でかい文字に出くわすことがある。
例えば河川敷の路面に白線で記された、その上空を横切る橋の名前。
例えばIKEAの青い壁面に取り付けられた、巨大な箱のような黄色い「I K E A」のロゴ。

あるいは小さな文字というものもある。
例えば書物の行間に蠢くひらがな、カタカナ、ときに漢字によるルビ。
例えばマイクロフィルムに焼かれた公文書の複写像。
例えば紙幣の片隅に、縁取りに紛れるように印字された偽造防止の「NIPPON」の文字。

こうした文字に出くわしたとき、私ができることといったら、ただ笑うよりほかない。
文字が、大きい?あるいは小さい?どうしてそんなことがありうるのか、意味がわからない!

文字は、私達が知っている文字、飼い慣らしているつもりの文字は、一度網膜に映り込むや否や、即時召喚された意味の背後へとひらりと身を隠してしまう。その過程に文字の大きさなどというものの介在する余地はなく、それでも慰みとばかりに複数用意されたフォントサイズも、ただ意味という頂点へと向かって収斂する光学的な円錐に串刺しにされている。 

しかしある閾値を超えて大きい、あるいは小さい文字は、この円錐に嵌まり損ない、意味へと向けた撮像の途上で目詰まりを起こすらしい。吐き出されたその文字だったはずのものは、ぶくぶくと肥え太った物質性へと投げ出され、意味の抽出の切っ先へと研ぎ澄まされた私たちの身体をしばし痙攣させる。なぜこれに私は意味を見ていたのか、「意味がわからない」!





*この期に及んで夏休み日記:その11*友だちと連れ立って観光名所行ってお互いの写真撮りあってる奴らはつまらない奴らか。

昨日は鎌倉に行きました。人混みは好きではないので世間での休日に繁華街や観光地に行くことは普段避けるんですけれど、今日は日曜とは言えいかにも降り出しそうな空模様だし、どうかな、と思ったらまあそれでもそれなりに混み合ってはいましたね、はい。

混み合っているとつい、よくもまあ皆さん揃いも揃って列なして、と冷笑的な気分になってしまう自分がいるのですが、しかし冷静に考えて、「誰もが知っているような観光名所に行く」ようなことって、そんなに悪いことでしょうか。と、今回は自戒を込めた日記です。


「みんながしている」ことをすることは悪なのか

これは実のところいくつかの、それもわりと互いに異質だったりもする考えが混ざり合って主張されている場合がほとんどだと思います。今流行りのタピオカを例に、とりあえず思い当たったものを分類してみると、


1. タピオカ文化それ自体が悪である・・・A


2. (タピオカそれ自体の価値は別の問題とした上で)

 a. 多数派に属することが悪である(「みんなと同じじゃん」)・・・B

 b. 動機が「みんなが並んでいるから私も並ぶ」だから悪である
 
  i. 主体性の欠如が悪である(「お前の意志じゃないじゃん」)・・・C

  ii. 価値判断の基準が非本質的であることが悪である
   (「みんな」であることが重要=「タピオカじゃなくてもいいじゃん」)・・・D

みたいな感じでしょうか。

Aはもう少し細かく分けられると思いますが、
・「タピオカという文化そのものが(たとえば「インスタ映え」のような)「みんながしている」という構造と不可分であり、悪である」
・「タピオカ旋風など商業主義に踊らされているに過ぎないのであり悪である」
とかでしょうか。よくわからない。

Bの場合、その動機について別ルート経由だとしても、結果として多数派であるタピオカ側に位置してしまっている時点でそれは悪(南米の食文化研究経由だろうが新素材開発経由だろうが落ちた先が多数派なので悪)、となるのに対して、C、Dの場合は非難を免れることになります。

またBは多数派であることを嫌悪しますが、「みんなと一緒」も「みんなと違う」もその基準を外部に依存している点では同じであり、その点をC、Dから追及されることになるでしょう。

このように、あたかも一つの立場表明と思われたものは、実のところ一枚岩でも何でもない、複数の思念(とおそらく私怨)が渾然一体となり、矛盾さえ孕んだなんかよくわからない感情であったりします。こうした状況に対して自省と自制を厭わないことは大事なことです。以上、自戒でした。



最後に、アニメ『響け!ユーフォニアム』でも屈指の印象的なシーン、お祭りの日に「なんとなく」登った大吉山で、高坂麗奈が黄前久美子に語る「特別になること」の、力強くもどこか危うげな様を思い出して、この日記を一旦閉じましょう。

麗奈は一方では「他人と違うこと」への執着を示し、「誰かと同じで安心するなんて、バカげてる」と切って捨てつつ(B)、他方では「当たり前に出来上がってる人の流れに抵抗したいの」と語ります(C、D)。

そしてそう語る彼女が「特別になるために」選んだ道は、吹奏楽部の、花形も花形であるトランペットで、誰もが目指すソロを吹く、という道です。無数の「その他大勢」を踏み台にして初めて成立するような、言ってしまえばとってもありきたりな道です。

自らも「そういう意味不明な気持ち」として、少し距離を置いて語る彼女は、その自覚あってこそ久美子に、キャラクター化もしてもらえないようなマイナーな楽器であるユーフォニアムを吹く、どこか周囲に対して冷めた目をした久美子、どこか「ユーフォっぽい」久美子に、惹かれたに違いありません。

彼女の強さの源をもしひとつ挙げるとすれば、それはその実力でもその孤高さでもなく、この戸惑いゆえのものでしょう。
 



2019年6月29日土曜日

*この期に及んで夏休み日記:その10* 届かない電子メルマガ(前編?)

前回少し書いた欠如についての話題とも少し関わる話なんですけれど、

私、コーヒー定期便というものに登録しておりまして。毎月2回、二種類のコーヒー豆が届くのですが、加えてそれと同じタイミングでメールマガジンが送られてくるんですね。

送られてくるはずなんですけれど、どうも私のアドレスが先方のシステムと相性悪いのか、時々メルマガが届かなかったりして、先方にメールしてメルマガの内容をコピペで送り直してもらったり(もちろん内容もフォントもレイアウトも同じ、ていうかメルマガなので内容しか無いんですけど、やっぱ「そうじゃないんだ」って感じしますよね)してて、ちょっと辟易してどうしたもんかと思っています。

で、本題ですが、そもそもなんでメールが「届いていない」ことが私にわかるのかという話です。

「届いている」ことを知るのは簡単です。手元に現物が現にあるのですから。しかし届いていないんだから手元には品は、ということは「届いていない」ことを示す証拠が、というよりそもそも「届く/届かない」という評価の契機それ自体が無いわけです。

実際どうしているかというと、私はその契機を、この郵便交渉の外部から輸入しています。具体的には、毎月第二・第四水曜日がメルマガ配信日だという知識であったり、またその日から2日ほど遅れてポストに届く、豆の入った小包であったり。そうした言葉によって、いわばまず最初に「メルマガ配信日」という埋められるべき「空欄」を構築した上で、その充填が不順に終わったとき、そこに「欠如」が見出されるという順序です。

小学校の算数の時間にでも、次のような問題を出されたことはないでしょうか。


1時には1回、2時には2回、以下12時まで同様に鐘が鳴る時計台があります。さて、

問題:今が6時だとわかるのは、鐘が何回鳴ったときでしょう。


正解は6回……では無いわけですね。しかしならば7回、と答えてもやはり正しくありません。無理矢理正しい回答をあげるとするならば、次のようになるでしょうか。「6回鳴って、かつ7回目が鳴らなかったとき」と。

このような引っ掛けめいた問題も、先程のメールの不着とよく似た構図を持っていることがわかると思います。つまり、「欠如」を示すためには、その欠如を受け止める「空欄」が必要なこと、そしてその空欄は言葉によって外部から構築されなければならないこと。


私たちは例えば「一角獣の存在」の発見に注がれるそれとは比べ物にならないほどの情熱を、「一角獣の存在」の発見に注ぐことでしょう、そしてそれは報われることない情熱です(*)。


*ここでわざわざここでの議論には関係のない、より面倒くさい参照を誘うような例をあげたのは、完全に私の顕示欲ゆえです。「いかなる状況のもとでなら一角獣が存在していたことになるのか私たちにはわからない」という仕方で、事実の問題ではなく言語の問題、コミュニケーションの問題にまで遡って考えるのがクリプキの可能世界論ですが、ここでは言うまでもなく一角獣は存在できません、というか、私たちが「一角獣」について語る限り、その言葉には、その言葉がまさに示すところのものの存在の余地は残されていません(東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』)。

 

ところで、これがかたちある手紙であれば、配達がうまくいかなかった場合は(誤配や紛失さえない限り)「転居先不明」として送信元に送り返されるので、ということはつまり送り返された郵便物がそのまま配達不順を示す記号として機能するので、少なくとも送信元にはその事実を把握できるのですよね。

たとえば最近、銀行から休眠預金に関する通知書が届いたのですけれど、「10年放置された口座の預金は公共に移管されます」との旨に続いて、「本通知がお手元に届いた場合は休眠預金等の対象にはなりません」とあり、数十秒くらい混乱してしまいました。

つまりこの通知書は見かけとは裏腹に、実は通知という機能は副次的なものであり、主目的はむしろ同法の対象となる口座の発見にあるのでしょう。そしてその目的からすれば、ここで大事なのは無事届いた手紙よりもむしろ「転居先不明」として送り返されてきた手紙、受信者の「不在」を表す記号の方なわけです。


……長くなったので中断しましょう。極力残りも後半として書こうと思いますが、「日記」なので期待しないでください。

2019年6月27日木曜日

*この期に及んで夏休み日記:その9* 今日は日記を休みます。

今日は日記を休みます。眠いので。

そう、言葉は欠如を表明することができるんだぜ。これが絵ならばそうは行かない。

ところで夢において欠如ってどういう扱いになるんだっけ、と雑な疑問を雑にぶん投げて私は寝ます。

おやすみなさい。

*この期に及んで夏休み日記:その8* 対面の暴力、それはさながらポッキーゲームのように。

対面の暴力とでも言う他無いもの。

対面は二者に、同じひとつの時間へと同期することを強制し、同じひとつの軸において関わり合うことを強制する。それは作用・反作用の軸であり、一方が動けばそれは直ちに他方へと向かい、他方は自動的にその受け手として位置づけられる。

この軸の両端に据えられた彼らは他方に働きかけ/働きかけられる一方である限りでのみ、その存在が認められ、その軸からきっぱりと切り離された挙動−−例えば余所見や独り言−−は、もはや構造的に許されていない。余所見は例えば相手の話への無関心のサインとして、独り言は例えば相手への何かしらの仄めかしとして、この対面の軸の内に直ちに読み替えられてしまう。

このいわば強制的なアイ・コンタクトの場において、両者の間に空間は存在せず、ただぴったりとコンタクトした二者の応酬の接点があるだけだ。

それはさながらポッキーゲームのように…。



2019年6月26日水曜日

*この期に及んで夏休み日記:その7* 日記が書けない

しかし本の頁にしてたかだか1、2頁の文章を書くだけのことにどうしてこうも苦戦しているかって、まあおそらく端的に言って「上手いこと言ってやろう」と思ってしまうからなわけだ。

読む側にとって面白いとか為になるとかいったことではない(そんなことは正直どうでもいい)。「上手いこと」というのは、単に事実の外観を記述するに留まらず、その記述を何らかの形で出来る限り圧縮することと言えるだろう。それは目下の話題を他の話題に関連付けるのであれ、より高次の議論の一事例として分類するのであれ。「一を聞いて十を知る」とはよく言ったものだ。

画像であれテキストであれ、そのデータに「パターンがある」とは、そのデータがより効率的に圧縮可能であることに等しい。「whdicvjo」と「tttbgggg」というふたつの文字列では、例えば「t3b1g4」といったように圧縮できる後者のほうによりパターンが認められるといえる。つまりより「乱雑さに乏しい」わけだ。

ちなみに「複数著者によるテキストを一緒に格納したファイルよりも同一著者による複数テキストを格納したファイルのほうが圧縮率が高い」ことを利用して文章の筆者を推定できる、という変態的な実験結果も存在する。
(「ファイル圧縮技術の応用でテキストの筆者を推定」WIRED.jp 2002年2月8日
https://wired.jp/2002/02/08/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%9C%A7%E7%B8%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%AE%E5%BF%9C%E7%94%A8%E3%81%A7%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%AD%86%E8%80%85%E3%82%92%E6%8E%A8%E5%AE%9A/ )

しかし少なくとも当ブログがひとまず掲げた粗製乱造の目標に照らす限りでは、この執着が裏目に出ていることは間違いない。経験と知識のストック、そして思考と文章力に長けた人ならば日記の数行であれTwitterの140字であれ、そうした圧縮を瞬時にやってのけるのであろうが、そのどれも満足に有しない私にはその前段階からはじめる他無い。

圧縮される限りで有益となりうる記述の、そのあるかもしれない圧縮に未だ浴していない・圧縮を未だ能くしていない、単なる記述からはじめる他無い。

読むのに100年掛かる100年史の記述に甘んじなければならない。


2019年6月22日土曜日

*この期に及んで夏休み日記:その6* 小さな写真(の群れ)

早速更新を二日間もさぼってしまった。あまりに眠かったのだ。どっか行って帰って片付けしてるともう寝る時間ですよね。


昨日は東京国立近代美術館のコレクション展を見た。
割りと何度も見に来てはいるはずなのだが、今回は意外と真新しい作品にちょくちょく出会って新鮮だった。
『モダニズムのハード・コア』で岡崎乾二郎が論じていた、アンソニー・カロのテーブル・ワークも見られたし、いつの間に収蔵していた横山裕一の原画や高柳恵里も見られた。

気になったもののひとつが伊藤義彦による一連の作品だ。
ハーフサイズカメラ(通常の35ミリフイルムの一コマ分を更に半分ずつ使う。2倍の数撮れてカメラ本体も小型化できる)で撮影したフイルムまるまる一本分を並べてそのままのサイズで印画紙に焼いた、いわゆるコンタクト・プリントなのだが、各ショットが印画紙のどの位置に配されることになるかを把握し綿密に計画の上、撮影されており、結果として出来上がった写真の配列は全体としてとてもリズミカルな効果を持った一つの画面として構成されることになる。


ところで私は昔から、小さい写真というものに何となく惹かれてしまう。たとえるならそれはあたかも植物の組織のようではないだろうか。縮小されて焼かれた像の、色彩と形態の間の差異もろとも押しつぶしてしまいそうな光の凝縮。その粒子の一粒一粒が像を、光を、その凝集の内に孕んでいる。


思い浮かぶ写真の経験をいくつか上げておこう。

まずは早稲田大学の會津八一記念博物館でみた「写真家としてのル・コルビュジエ」展での、コルビュジエ自身による写真のコンタクト・プリントの数々。
小さなプリントの矩形を更に内に反復するような建築物の窓の連続。
トリミングやホワイトバランス等の調整の指示が書き込まれているのも良かった。

最近では東京都現代美術館「百年の編み手たち」展に出展されていた、柳瀬正夢による満州の風景を写した写真。
展示方法が興味深く、それらの写真が正方形のガラスケースに、碁盤の目に合わせるように縦横に並んでいる。写真自体は小さい版の長方形で、それをあるいは縦に、あるいは横に使って撮影したものが入り混じっていおり、しかも写真は経年故か長手方向に、あるいは対角線方向に反り返っているのだが、上述の並べ方故にそうしたノイズがむしろリズミカルで小気味よく、今思えばそれは伊藤義彦の作品を見たときの印象とよく似たものだったかもしれない。  


参考

国立近代美術館 所蔵作品展

會津八一記念博物館 没後50年「写真家としてのル・コルビュジエ」展

東京都現代美術館「百年の編み手たち -流動する日本の近現代美術-」

白井かおり「[翻刻]柳瀬正夢「満洲日記」(一九四二年)」、『フェンスレス オンライン版 創刊号』、占領開拓期文化研究会

「写真の上の植物、あるいは像の最小」

2019年6月20日木曜日

*この期に及んで夏休み日記:その5* 「フレーム」類語虫干しの儀

※この文章の大枠は昨日深夜に書かれた。「今日」とはしたがって6月19日を指している。


今日は表参道画廊及び同じ建物内のMUSEE Fで開催されている、多和田有希・原田裕規「家族系統樹」を見てきた。

原田裕規さんといえば著書『ラッセンとは何だったのか?』(2013年、フィルムアート社)が有名だが、近年は自作品の制作・展示も精力的にされている。

原田さんが著述や作品でしばしば扱うアーカイヴやフレームと言った切り口は私の関心にとても近いものであり(一昨日書いた東京インディペンデント2019の出品物 https://nanka-sono.blogspot.com/2019/06/3-ikea-tokyo-bay-2019.html もこの流れだ)、今回の展示もやはりそうした視点から興味深く拝見した。

展示については日を改めるとして、それに向けた自分宛の準備も兼ねて、ここでは美術における「フレーム」にまつわる類義語たちをメモ書きしておきたい。

 

パレルゴン parergon

par(傍ら)+ ergon(作品)

元ネタとしてはカント。作品にとって付随的なもの、というくらいの意味で使われ、「絵画における額縁、彫刻における衣服、建築における列柱」がその例として与えられている。後年デリダが『絵画における真理』でこの記述に茶々を入れたことから有名になった。

日本では藤井雅実が画廊「パレルゴン」を主催したことでも知られる。


オードブル hors d'œuvre

hors(外)+ œuvre(作品)

食卓での用法は、メインに付加的なもの、ということなのでしょう。

当ブログのタイトルであることでも知られる。


補綴具 prosthesis

pros(付加)+ thesis(置く)

補綴具とは例えば義足や義眼の類。
thesis は「テーゼ/アンチテーゼ/ジンテーゼ」のテーゼに同じ。
仮説 hypothesis、挿話 parenthesis、合成 synthesis あたりの親戚たちと並べるとアガる。


パス・パルトゥー passe-partout

どこでも行く、くらいの意味らしい。
写真を額装するとき、額縁と写真の印刷部との間にある余白を埋めるように挟まれる、真ん中に窓の空いた厚紙のこと。

ちなみに『八十日間世界一周』で資産家フォッグに付き従ってともに旅する執事の名前がやはりパスパルトゥーだとつい先程知った。何が何やら。


取っ手

額縁とは、イメージを操作するときの取っ手に他ならない。

これを示唆する(確か明言はしていたかどうだったか)のはゲオルク・ジンメルによるいくつかの小論である。

彼はその名も「額縁」という素晴らしく明晰な小論を書いているのだが、そこで彼は額縁をぶつかり合うふたつの原理の均衡の場として、建築工学的に描写している。

そして彼はまた「取っ手」という文章も残しているのだが、この小論における「取っ手」の説明が、額縁を語るときのそれとほとんど同型なのだ。というかジンメルの関心の中心が基本的に「内と外との緊張関係」にあり、それが額縁や取っ手、扉といったものに見出されたということなのだろう。


動く付帯物 Bewegtes Beiwerk

アビ・ヴァールブルクの概念。美術作品が強い情念を表そうとする際に時代や地域を超えて現れる「情念定型」の一つの形、といった感じだったと思うが。揺れ動く毛髪や衣服の表現。
仏訳がどうなるのかは確かめていないが、「Beiwerk」はおそらく「by-work(作品の傍ら)」であろう。

この「付帯物」に上で見たような「フレーム」性を読み取ってみることはあながち見当違いでもないように思う(きちんと追っていないので断言は避ける)。

現代の美術作品でも、特に美少女キャラ表現において、髪は強力なフレームとして機能している。

個人的には映像作家の佐々木友輔さんによる「揺動メディア」論との親近性を予感している。


まだまだいくらでもあろうがひとまずこの辺で。




2019年6月19日水曜日

*この期に及んで夏休み日記:その4* ネズミたちとともに

ここのところずっと見かけなくなっていたネズミが最近また現れだした。


以前のネズミたちによる被害は深刻だった。まず部屋の入口ドアの枠の木製の部分が齧られ、ネズミの背丈分がほぼ消失した。

米、豆、野菜、ティーバッグ等、室内にある食品という食品は齧られぶちまけられた。

袋入りの食品、プラスチック容器や油の瓶の蓋も破られ、プラスチック片が散らばった。

芽が出はしまいかと水につけておいたアボカドの種も齧られた。

糞尿は撒き散らされ、夜な夜な台所から聞こえてくる物をかじる音、何かをひっくり返す音、足音や鳴き声に精神をすり減らした。


対策として、何よりもまず食路を断つことを最優先にした。ゴキブリと比べれば体はずっと大きいのだから、生存には餌もたくさん必要なはずだ。

食品は袋のまま放置するのはもっての外。中身を瓶等に移すか、食品庫代わりの電子レンジに収納するか、袋のまま1キロ入りのキムチの容器に仕舞い、蓋を破られぬように蓋を下にして置いた。油のボトルも蓋を噛まれないように常に紙袋等を被せた。

ネズミの登りやすい地形、歯を立てやすい形状などもなんとなく見えてきた。

ネズミの環世界を除くような気分だった。


それらの功のほどは不明だが、いつしか我が家からネズミの気配は消えていた。


今いるネズミたちは一体何をしているのだろうか。対策が今なおそれなりに維持されている我が家では、決して満足に食料を調達できるとは思えない。

今のところ何かを噛んだ痕跡も見当たらず、行動範囲も狭く、振る舞いもどこかどんくさい。一匹は屑籠に入り込んでいる現場を押さえられ、そのまま丁重に玄関先に放り出された。

それでも確実に精神の平和は脅かされている。

2019年6月18日火曜日

*この期に及んで夏休み日記:その3* IKEA Tokyo-Bay でふりかえる東京インディペンデント2019

IKEA Tokyo-Bay に行ってきた。

立川店以外のIKEAは初めてな私は、入口ホールでいきなり衝撃を受けることになる。

店内に入ってすぐのところに、売り場の平面図がはっきりと掲示されている。これはIKEA立川にはないものだ。




ここでIKEAでの作法をご存じない方向けに説明しておくと、IKEAの店内は大きく3つに別れている。主に大型の家具類が並び、実際に試すことができる「ショールーム」、小物類が陳列された「マーケットホール」、そしてショールームで試して気に入った商品をピックアップしてレジへとはこぶ「セルフサービスエリア」だ。

商品が種類ごとに分類され、整然と並んだ巨大な倉庫である「セルフサービスエリア」とは違って、「ショールーム」と「マーケットホール」には無数の商品の間を縫うように巡らされた順路が設定されており、基本的には客はそれに従ってすべての売り場を巡りながら買い物を進めることになる。

さて、この平面図の存在がなぜそんなに大ごとなのかだが、今年の春に開催された「東京インディペンデント2019」に私が出品したもののうち一点、「展示会場のプラン IKEA立川の地図」が、まさしくIKEA立川店のショールームの平面図として作られたものだからだ。

良い機会なので、この場を有効活用して「東京インディペンデント2019」について簡単に振り返っておこうと思う。

同展は今年2019年の4月18日から5月5日にかけて東京芸術大学の陳列館で開催された、その名の通りいわゆるアンデパンダン展であるので、当然申し込みさえすれば身分を問わず誰でも出品することができ、出品者は最終的に634名に登ったらしい。

今回私が出品したのは以下の三点である。

・「半自立絵画のプラン」
・「自立絵画のプラン」
・「展示会場のプラン IKEA立川の地図」

・「半自立絵画のプラン」



まず「半自立絵画のプラン」だが、外観としては看板、それも恒久的なものではなく、しばしば街中の電柱やガードレールなどに無許可で設置され、そのまま強制撤去されるのを待っているような使い捨てのもの、いわゆる「ステ看板」というやつである。いかにも貧弱そうな角材をタッカーで荒っぽく組んだ木枠に、本来は広告が印刷されたビニルシート等が張ってあるのだが、これは代わりにキャンバスを張ってある。

ちなみにこの木枠は実際にステ看板を作っている業者さんに発注したもので(本体よりも送料がとにかく高くついた)、キャンバスは世界堂で買ってきたもの(めっちゃ高かった)を自分で張った。

その構成要素という点で油絵でしばしば使われる木枠キャンバスと大枠は共通していながら、権威とは無縁のその扱い、そして何より自らの脚で「半自立」する姿に昔から興味をひかれていた。

・「自立絵画のプラン」


半自立があるなら自立もないといけないだろうと作ったのが、次の「自立絵画のプラン」だ。IKEAで買ってきたフォトフレームを、包装だけ解いてある(後ろの脚が出せるように)。それだけだ。

ちなみに少し大事な点として、フォトフレームはそれが商品であるうちは大抵、本来写真を(すなわち作品を)収める部分に商品名やサイズ等が印刷された紙切れが(すなわちキャプションが)封入されている。さらにIKEAの商品の場合、そこに使用例として写真を収めたフォトフレームそれ自体の写真が刷られており、結果として画中画(mise en abyme=深淵にする)のようになることになる。


・「展示会場のプラン IKEA立川の地図」



最後に「展示会場のプラン IKEA立川の地図」。IKEA立川の「ショールーム」の平面図を歩測によって推測し、その結果をIKEA店内に備え付けてある紙メジャーに写し取ったものだ。美観と保管の観点から、やはりIKEAの商品であるディスプレイフレームに封入してある。

これはもとはIKEAの順路式の売り場設計が美術館の展示空間のそれとよく似ているな、という考えがもとになっている。物語りと足取りの継起性の結果としてのシーケンシャル・アクセシビリティと任意の一作品に効率的にたどり着くためのランダム・アクセシビリティの要請とを両立するための、つづら折りのあちこちを抜け穴で繋いだ空間設計。

先述の通り、IKEA立川の場合、売り場の平面図は店内に一切掲示されておらず、あるのはただ駅の停車駅表示版のような、数直線化された行程図のみである。IKEAはそういうものという認識のもとで作られたのがこのプランなので、船橋で入店するが早いかすでに出来上がった平面図を見せられたときには正直少し裏切られた気さえした。これが驚きの原因である。



さて、これら三点の関係だが、まず名前的には「半自立」と「自立」があからさまに兄弟である。しかし外観的には「自立」と「地図」がIKEA製品つながりで類似し、また手間数としては、ほとんどレディメイド同然の「自立」との対比で「半自立」と「地図」とが浮き上がり、偶然とは言え程よく三すくみ状態になっている。

また三点のいずれも「プラン」として統一しているのは、言うまでもなく「平らな面 planus −案 plan −平面図 plan −無垢 plain」といった親族関係を意識してのものだ。

「プラン」などと呼んでいることからもわかるとは思うが、これらは美術作品として出品したものではない。あくまでも展示の形を巡る試案という扱いだ(いちおう「作品」のような危うい語を使うのは避けるようにしている)。

パレルゴン(par-ergon 作品の−傍ら)を巡る一発ギャグ三連発といった理解で一向にかまわない。



参考リンク

「イケアストアでのお買い物方法」
https://www.ikea.com/ms/ja_JP/customer-service/about-shopping/how-to-shop-at-ikea/index.html

「東京インディペンデント2019」公式ページ
https://www.tokyoindependent.info/

買ってください
https://twitter.com/10aka_/status/1125373972743200769

2019年6月17日月曜日

*この期に及んで夏休み日記:その2* 脈絡が無い

 
気紛れで環七沿いを西新井大師へと歩いていた道中、突如知人から連絡があった。日暮里・舎人ライナーに千代田線を乗り継いで、六本木に向かう。 

彼は「技術書を小説のように読んでしまう」自分を愚痴っていた。それは多分こういうことなのだろう。個々の文の意味することは見て取れる。次に進むと、やはり見て取れる。以下同様。しかし結果として個々別々に見て取られた風景は、ただバラバラに併置されるばかりでその間をつなぐ脈絡が掴めない。

スクリーンに映し出されるひとコマひとコマは見えているつもりだが、それらがひとつづきのアニメーションとして結果しない。

ともに見慣れた場所である足立小台と西日暮里の風景は、それらを結ぶ日暮里・舎人ライナーの乗車の経験によって滑らかにモーフィングされたりなどはしない。私は気付いたときにはどうやらもはや足立小台のそれとは呼べない風景の只中にいるし、また気付いたときには普段西日暮里のそれと呼んでいる風景の只中にいる。



あるいは夕刻、六本木を離れ、私たちは明治神宮外苑を新宿方面へと歩いていた。昼から夕へ移ろう空にiPhoneのカメラを向けてはこの美しいグラデーションを写し取りたい、いっそのこと今脳に受けた光景をそのまま印画紙に焼きたいという彼の無念には大いに共感するものの、実のところ仮に技術的にそんなことが可能であったところで、いざ吐き出されてくる画像は大したものではないだろうなと思う。

私がひとまず感じているらしい視覚イメージ、私がそれを感受する限りでのみ存在するそれは、たとえば夕暮れの空の紅から漆黒にかけての推移を、正に実に推移として表現する。というのはつまり、まず両端にそれぞれ紅と漆黒とを配した上でそれらの間を割っていくような後付けのグラデーションではなしに、その両端が何であれ、ともかく今目を瞑って画面をなぞる指先に感じるような推移であり、微分計算で0へと漸近する極限に逆立つ矢印の毛並みの感触であり、それはいざ始点も終点も一挙に一画面におさめようとカメラを向けた途端、押し黙ってしまうものなのだ。

切れ目ない町並みの見えの移ろいの只中にも、望むならば私たちはその都度一枚の絵葉書を切り出す事ができる、そう思いがちだ。しかし素晴らしい町並みに出会い、この感動をぜひとも形に残しておこうとカメラを取り出したは良いがいざ撮ろうとすると特別撮るべきところも見当たらない。撮ったところでその町並みの確かに感じた魅力はしかしどこにも写っていない。画角が狭かったのかしらんとパノラマや全天球カメラを試したところで印象はいよいよ散漫にぼやけるばかりで像を結ばない、そうした経験は誰にでもあるだろう。

それでもそれを撮ろうとするならば、その継起を適当な間隔で輪切りにした上で、それらを斜め上から撮ることになる。時間を空間に投射するのだ。

例えば新宿南口から西新宿一丁目交差点へと下る通勤者の群れや原宿駅から見下ろす竹下通りの買い物客に観光客が喜々としてカメラを向けるのは、確実にそのスポットの地形ゆえの現象である。東京の人混みという継起的な経験が、大きな高低差という地形的条件に助けられて、ひとつの見世棚に陳列され、印画紙へと曝け出されている。

あるいは一まとまりの経験を一つの単位として、一つのコマとして、他の経験=コマとの関係の内に配置する。これは「六本木」の風景、これは「青山霊園」の、これは「明治神宮外苑」の、これは「新宿」の……。以上は命名法に一貫性はない。それでも別段問題はない。その都度その都度の仮留めの群れがある、そのことが重要なのだ。

ところでやはりその日行った根津美術館の庭園では、大きな高低差のある敷地の見通しはしかし木々や点在する庵によって周到に断片化されていた。かといって「絵になる」風景の撮影スポットのような特権的な場があるわけでもなく、散策者はひたすら奥へ奥へと横滑りさせられ、道を辿っていくことになる。風景の「ある程度」への離散化。

そうこうしている間にも私たちは六本木の雑然、霊園の暗がり、外苑の木々のざわめきを抜け、あれほどまでに青かった空は既に暗く沈み込んでいた。そう言葉で縁取ったその内実を私はもう思い出せない。

2019年6月15日土曜日

*この期に及んで夏休み日記・1* 集中力が無い

3年と少し働いた職場を5月いっぱいで引退した。転職先が決まっているわけでもなく、せっかくなので2か月ばかりの休暇を堪能するつもりだ。大学時代以来の夏休みである。

なんということだろう、もう半月が過ぎてしまった。

ただでさえ無気力なところに、引退前後に気がつけば痛み出して今に至る腰ゆえに、いよいよ何につけても文字通りに腰が重い。

しかし今日に関しては、長文タイプが何より嫌いな私がわざわざこんな文章を打っていることからお察し頂けたら幸いだが、少々成果があった。

子供の頃から私は兎角集中力というものとは無縁であって、母からはよく「あなたは尻が丸い」と言われたものだ。目前の課題に腰を据えようにも身体がそわそわして仕方がないし、目は上滑りし思考はとっ散らかりタタラを踏んで、目的地は愚か、航路に就くことすらままならない。そのくせ「集中しなくては、耽溺しなくては」という焦燥ばかりが先走って姦しく、いよいよ眠られぬ夜のごとく何もできないままに、時間はただすれ違い際ばかりを能う限り引き延ばし、いまこの時はいつまでも過ぎていかないのに、いざ振り返ればこちらの目を盗んですり抜けていった時間の残骸で死屍累々である。

集中するのはもう諦めた。むしろ最初から逃げ道を複数用意しておいたほうが有益だ。

結局今日は落書きなり楽器なり仮眠なり(毛色の異なるいくつかの)読みものなり工作なりそういった色々を10分刻みとかでとっかえひっかえしていた気がする。

「気がする」と書いたが、集中力を欠いた人間というのは過去の自分の行動についても一筋の記憶として集中化できないものなのだ。だからこそ彼には未来に向けて準備する地図だけでなく、過去を記録する地図もまた必要である。そこで今日の私は一枚の大ぶりのホワイトボードと、一冊のメモ書き用の辞書を用意した。いまこの時をその前後に向けて、少しばかり嵩(暈)張らせるのだ。