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2020年12月5日土曜日

20201205 洪水、修復、懸隔

9:00 現在、コーヒーはすでに一杯。UCCのタンザニア・ブレンド。

今朝は久々に普通の時間に起きた。また薄暗く曇った日だ。


昨日は1966年の11月にフィレンツェを襲った大洪水についての記事を少し読んだ。アルノ川の氾濫はこの街の住民の日常のみならず、貴重な文化財の数々に甚大な被害をもたらした。

フィレンツェ出身の映画監督フランコ・ゼフィレッリによる記録映画『Florence: Days of Destruction』(1966)を観た。彼の最初期の監督作にして唯一のドキュメンタリー作品であるらしい。瓦礫や自動車、日用品を押し流す濁流、段差や格子窓から溢れる水、街路をぬっと覆い尽くす水面の映像。白黒フィルムの像にしても異様に黒々と光を照り返す水面は自動車から漏れたガソリンが浮いたものであるらしい。開口部という開口部から流れ込んだその水はサンタ・クローチェ聖堂の壁面を上下にきっぱり白黒へと塗り分けた。堂内をカメラが水平に旋回し、画面下端のあまりの平さに、あたかも地面が失われて空虚なヴォリュームだけが広がっているように見える。書庫は天井にまで紙が張り付き、水を吸って膨張した本が書架の中で互いに突っ張りあい、石積みアーチのように浮かび上がっている。

映画の後半では傷ついた文化財の救助に奔走する人々の姿が映し出されている。足場の上に窮屈そうに並んで座り、壁画表面に保護用の和紙と樹脂を張り込んでいく。泥に塗れてページの貼り付いた書物をバケツリレー式に運び出し、トラックに詰め込んでいく。

セーターの前面を泥で固めた少年がカメラに投げたはにかみはしかし一瞬で力尽きるように萎み、背けた顔の下にシャツの襟ばかりが画面に白く焼きつく。トラックから伸びるホースが吐き出す水が手の泥を押し流す。ボトルに詰められた飲用水が縄に提げられて筏から引き上げられる。シガーキスで火を移しあう若者の足下にはまだ手付かずの泥まみれの書物が広がっている。引火の心配さえ不要だろう。


田口かおり「1960年11月4日、フィレンツェ」(第一回)(2016年2月13日) 
http://siryo-net.jp/contribution/firenze1966-01/

 

"Florence: Days of Destruction" (University of Maryland Digital Collections) 

 

イタリア文化の中心であるほどに、それは潜在的にその喪失、忘却、そして復古、修復の中心でもある。記事中には現地で指揮を取ったウンベルト・バルディーニやウーゴ・プロカッチ、近代修復学の祖チェーザレ・ブランディといった名があらわれる。そういえばブランディの所属する国立修復研究所は、遡ればファシズム政権下の文化政策の中心を担ったジュゼッペ・ボッタイが設立を指揮したものだった。

ボッタイの名を知ったのは鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』(水声社、2011)でのことで、党首ムッソリーニの、ともすれば「キッチュ」になりかねない古典主義への偏執に苦言を呈するボッタイの姿勢が印象的だった。「復元よりも保護」を。始源と現代との間に横たわる隔たりを、明っけらかんと無みしようとする「キッチュ」を断固として拒絶し、むしろその懸隔、裂け目をこそ、いわば作品への遡行可能性の架橋として死守すること。


寒い。油が冷えて固まるように鈍い身体の循環だ。昨日届いたヘッドフォンを試した。Sony のWH-1000X M3 、ノイズ・キャンセリング機能が付いている。音楽なしでこの機能だけを有効にしてみているが、なかなか良いかもしれない。聞こえないというよりはむしろ無用に気をもっていかれることがなくなる、という感覚だ。距離が確保できる分、むしろよくそれを聞くことにすらなるかもしれない。テフロン加工の感覚器。

寒い。階下から響く物音への恐怖の中でこれを書いている。キーボードのバネの金切り声。ヘッドフォンをしてより低い打撃音に気付くようになる。硬直した指が押し返される。吸気が鼻腔をざらざらと擦り上げる音が響く。Da, Da. Halt.





2020年11月11日水曜日

20201111 橋、斜、廓

9:30 現在、コーヒーはすでに二杯。パプアニューギニアのウォッシュトと、UCCのタンザニア・ブレンド。

今日の朝が寒いのは窓が開けっぴらいているからで、今朝洗濯した布団カバーがその窓の内外を跨ぐように、端端をちょいちょいと摘まれて干されている。

10:30 現在、コーヒーは3杯目。エチオピア・シダモのウォッシュト。かなりあっさりとした焼きゆえ、口内に液を含んだ状態ではむしろ香りの邪魔になるくらいなので、これは嗅ぎタバコのようなものだと割り切って、はやばやに飲み込んでしまうのが良いのかもしれない。

吊り下げられた布地のドレープを見るとつい、ガウディの逆さづりの設計模型だとか、吊り橋のロープだとかを連想してしまう人間というのがいて、そういえば昨日は色々と橋だとかその跡だとかをいくつも渡った。
「いくつも」というからには、それは川や水路が幾重にも曲がりくねっているか、あるいは無数に並走し、ときに交錯しているか、そうでなければこちらの方が無闇矢鱈に彼方へ此方へと彷徨いていたかのいずれかであるわけだが、今回に関してはその全てが当てはまるだろう。1930年に荒川放水路が完成するまで、荒川直下の最下流部であった隅田川、その流れが南方へと90度向きを転じる辺り一帯には、かつて広大な湿地帯がひろがり、その南端にはぽつりと浅草市街が浮かんでいた。度重なる治水やら干拓やらの試みの末、そこには無数の掘割が走り、新堀川を渡る合羽橋、山谷堀を跨ぐ今戸橋等々、その名残はいまでも地名に残されている。

この今戸橋といえば思い出されるのは永井荷風による初期作『すみだ川』(執筆は1909年という)、幼き長吉が夜な夜なお糸を待ち侘びた木橋の欄干だ。

その後『日和下駄』(1915年)序文の永井は「木造の今戸橋は蚤くも變じて鐡の釣橋となり」と記しているが、山谷堀が1976年から暗渠化されるころ掛かっていた今戸橋は1926年竣工の桁橋であった。それ以前の10年に満たない短いあいだ、先代の鉄橋が掛かっていたということなのだろうか。

『すみだ川』の当時はまだ言問橋も掛かっておらず、向島の小梅(現在のスカイツリーの足下あたり)に住うほろ酔いの蘿月は竹屋の渡しに揺られて対岸の長吉の住まいを訪問する。およそ30年を経た『濹東綺譚』(1937年)の頃にはこの言問橋はすでに完成しているが(1937年)、玉の井通いに電車を使う主人公にはあまり利用の機会がなかったようだ、作中ではこの橋の袂で巡査に誰何を受ける他に言問橋への言及はない(ちなみにここで彼が連れていかれる派出所の位置する江戸通りと場道通りの交差点には、現在でも交番が建っている)。

現在の隅田川にはさらにX字状に桜橋が掛かり、それを向島へと渡った先の堤防から住宅街へと向かう道は落差の激しい下り階段になっている。明らかに隅田川の水面より低い位置に、なんでもないように住宅街が広がり、こころなしかアスファルトは少し湿っぽく感じる。街道を北上した先、民家の間に隠れるようにして秋葉神社の境内があり、この脇を抜けたあたりに『濹東綺譚』の主人公が通ったお雪の住処はある。陽が傾くほどに、薄暗い路地を伝って暗がりと冷気が流れ込んでくるように感じられる。


そして傾斜だ。『すみだ川』の長吉は今戸橋から川沿いに延々南下し花街である葭町(かつての元吉原、現在の人形町のあたり)へと向かう。また浅草裏の宮戸座に通っては観劇にのめり込む。
その宮戸座があった通り、千束通りを昨日、たまたま初めて、南の端か北の端まで歩いた。途中から若干東に折れて進んだ先で日本堤ポンプ場ののっぺりとした壁にぶつかるに及んで、先の折れがおそらく吉原遊廓の傾斜角を反映したものであったことに気付いた。吉原のこの北西向きの傾斜角はその門前にあった日本堤に正対するべく設定されたものであり、そしてこの日本堤の角度はおそらく、それ以前からあった音無川(および山谷堀の原型)の流れを、隅田川を受け流す傾斜面として捉え返したものであろう。この地にはベクトル分解の力学が幾重にも交錯している。そうした斜面に導かれて、長吉はまた浅草裏へと通う。


12:30 現在、コーヒーは4杯目。三徳で買ったタンザニア。開封すると、豆のところどころが濡れたような油の浮き。深煎りのもので豆全体をコーティングしている状態なのはよく見るが、そうならないのは油の粘性かなにかの影響なのか。蒸らしで若干木酢液のにおい。


白髭橋を渡って向島を抜ける。左岸に沿っては白髭団地の白い巨壁が、堤防越水時の文字通りの最後の砦として連なっている。屋上には、おそらく水道タンクであろうか、オレンジ色のチューブが横たわっているのが秋空に鮮やかだ。対岸にはスーパー堤防で地上げされた汐入の高層団地が立ち並ぶ。それを過ぎた先、南千住駅前の商業施設は学生や子連れ家族で思った以上に賑わっている。ここに常磐線、日比谷線、つくばエクスプレスが束ねあげられて、傍らの貨物駅は広大に平たい鉄路のブーケだ。

どこに行くにも道を行かなければならない。極め付けに条理に串刺しのリアリティがここにある。ここもまた廓だ、私を取り囲む世のくるりを屋上から見渡す、ここもまた廓だ。







2020年11月5日木曜日

20201105 花道、花街、青梅の味

10:00 現在、コーヒーはすでに二杯目、昨日買ったエチオピアのナチュラル。

口にした途端、液の重さがふっと消えて、 細いスリットから差す光のように、舌の上に一すじの道が走るような感覚。そして闇に目が慣れていくように、開演を待つ客席の熱気が静かに高まっていくように、そのランウェイを中心に、次第に、思い出したとでもいうように、さまざまな印象がじわりと浮かぶ。吸水中の粉からすでに漂っていた、少し青臭いマンゴーか何かの酸味。重い木のテーブルにグラスがことりと置かれるような、静かな苦味。砂糖が水分を吸ってさらりとほどけていくようななめらかなテクスチュア。


今朝の朝食、ご飯と、なめこ、大根、高野豆腐の味噌汁は昨日の残り。加えて厚焼き卵。一時期どうしてもくっついてしまうようになり、作るのをやめていたのが、最近久々に試してみたらまた綺麗に焼けるようになっていた。卵焼き器の方が拗ねていたのかもしれない。

昨晩炊いた玄米は、浸水を忘れていて、せっかくの塩鮭があるので譲れず久々に引っ張り出した圧力鍋でごり押しで炊いたところ、お赤飯もかくやのもちもちに仕上がったのがおもしろく、笑ってしまった。水分量も適当に米と水とを1.5カップずつで、強火スタート、加圧後弱火の20分、放置10分みたいな感じだったのだが。せっかくだししばらくこちらで炊いてみようと思う。中身を確認出来ない点、圧力鍋は闇鍋だ。


もはや主食の座を奪っていた煎餅やらを食べるのをぱたりとやめてひと月あまり、買い出し時の出費が意外なほどコンパクトになり、食事を用意する時の気構えもいい意味でテキトーになった。疲れ切って帰った昨日もほいほいと汁物まで用意したのだから、我ながら立派なものだ。


昨日出たのはまたしても上野のほうで、着いてまず寄るつもりだった店はまだ開店30分前で、待つ間に向かったビタールはなぜかシャッターが下りていた。遣る方なくずらずらと足を引き摺り東に向かう。

手摺り越しに差し向かう隅田川の水面はいつも私のへそぐらいまでぐっと高く競り上がって見える。秋の日射が川面に落とす両国橋の影は対岸には冴え冴えと、此岸に寄るほどに境目を波にほどかれて色々のモザイク細工のようだ。陽が差し込む側に回ると、川の鏡面が橋に翳されて押し黙ったところに水中からの光が浮かび上がり、そこだけ古いガラス瓶のように藻緑色で。水の重たさ。


蔵前のアンビカで諸々の食材を調達する。5kg入りのバスマティが格安で、余程ひっ提げて帰ろうかとも思ったが、断念。値札のない、ピンポン玉よりひとふた回り小さい何かの果実か冷蔵庫に山積みになっていた。微かに梨肌の黄緑色の果皮は薄く、透き通っており、中に液胞を抱え込んでいるかのようだったので注意深く摘み上げたが、思いの外丈夫なようだ。以前とあるコーヒーのカッピングコメントにあったセイヨウスグリに少し似ているな、と思いつつ、おそるおそるふたつをかごに転がした。


当初は隅田川沿いを三ノ輪方面に歩けたらと(永井荷風ルート)思っていたが、先に果たせなかった予定を済ますべく、上野へと引き返す。ビタールはやはり閉まっていた。これからどうしたものかと思ったが、不忍池にはまだ蓮の葉が残り、そういえば駒込あたりにまだ通販でしか利用したことのなかいコーヒー屋があったことを思い出し、そこに寄りしな歩いて帰ることにする。結果として上野から3時間近く掛かった。5kg入りの米袋など買わないで良かったと思う。


外出した日の夜はいつも不思議と時間がある。夜寝る前、永井荷風の『すみだ川』を読む。永井のかなり若い頃の作品で、書いたのは明治42年(1909年)のこととある。明治42年といえば、荒川(当時はそのほとんど全流が隅田川に注いでいた)流域を水浸しにした明治40年洪水の直後であり、また翌年には(翌年着工の荒川放水路建設決定のダメ押しになったであろう)明治43年洪水を控えている頃だ。永井自身は序文中でこれらの洪水に直接言及してはいないけれど、急速に移ろいゆく江戸-東京の風景の水際としての川という場所感はこの時点から既に強くあらわれている。

ところで作中の主人公のひとり、若い長吉は、芸者修行に葭町(現・人形町付近)へと移り住んだ幼馴染のお糸の影を追い、今戸橋(山谷堀の隅田川との合流点)の自宅から隅田川沿いを延々下っていく。葭町はかつて元吉原があった地で、1668年に吉原が現在の浅草裏に移ってからはそこに芸妓が移り住み、戦後しばらくまで花街として栄えることになる。

普段東京にいても意識することはほとんどないが、こうした花街、廓街の跡地(というのは、しばしば政府の命によって街ごと作られ、街ごと移転された跡地)は案外あちこちに残っていたりする。

またしても話は戻って昨日の上野の帰り、東京大学裏の入り組んだ住宅街を分け行った先、根津神社の鳥居に行き当たった。それまでは聞き齧ったことがあるばかりだったが、このあたりにもかつて根津遊郭という廓街が広がっていたらしい。吉原大火の際には逃れてきた吉原の遊女も受け入れたが、東京大学の近辺ゆえに問題視されたこともあり(東大の出の坪内逍遥の妻はこの地で見染めた遊女)、1888年には東京湾の埋立地に構えた洲崎遊郭へと移転を命じられる(『濹東綺譚』の主人公はこの洲崎遊郭を舞台にした小説を書いたことがあるとの描写があった。『元八まん』中の永井も、電車(城東電気軌道?)の洲崎大門前で下車して遊郭へと帰っていく遊女を目撃している)。こちらも現在ではその街区割りを残して他には見る影もないことは言うまでもない。


読み終わった頃には0時を回っていたが、今朝は案外普通に起きて、朝食をとり、コーヒーを試し、晴れていたのでぬるま湯でぬいぐるみを洗った。


アンビカで買った果実は、レシートの印字には「amla」とあった。調べると、和名をユカン(油柑)といい、主にインド圏で食用に栽培されているらしい。スグリとは全く関係がなかった。包丁を入れると想像よりも遥かに固く、ざらりとした感触で、中心に種があるらしく、これが固くて割ることもできず、またリンゴやアボカドを剥くときのように捻って種を外すことも出来ない。仕方がないので直に齧り付くと、皮と実に境の無い、細目の紙やすりのようなザラリとした歯触りで、歯切れは非常に悪い。そして強い酸味と渋み。問題の種と実とはしっかり絡み合っている。あえて例えるならば、とても若い青梅の、実の部分を全て突き固めた皮に置き換えたような感じだろうか。歯触りの悪さゆえ、スライスするのが適当かと思う。インドではおもに漬物(ウールガイの類だろうか)にするという。

外からは焼かれたアスファルトの臭いが漂ってくる。スコップを震わせる振動が大なり小なり、不規則にぶつかり弾けては鉄板をジタバタまだらに鳴らしている。










2020年11月3日火曜日

20201103 水の臭い

8:00 現在、コーヒーは一杯、ブラジルのナチュラル。 ブラジルらしいチョコレートのような甘みは引き出しつつも、それを穏やかながらも印象的な青みのある酸味、青りんごとか、むしろタデ科の類の?茎のそれを思わせる酸味が引き立てる。とても滑らかなので、飲み込むとすっと引き、あとにかすかな香味が口腔に漂う。チョコレートホイップを纏ったケーキにイチゴが載っていると若干疑問を覚えるけれど、それがうまい具合に口の中で混ざるとイチゴの酸味がチョコの油分を具合よく洗い流して幸福な感情が口に湧く、そんな感じ。


昨日の夕方ごろから便りなさげに降っていた雨の気配は意外にもまだ続いており、湿った大気が少し向こうの幹線道路を走るタイヤの音を効率よくこちらに届ける。朝食には昨日の朝焼いてみたクランペットの残りをトーストする。鍋肌に平たく均された焼き目の表面を、ナイフで削ったバターの欠片が滑り落ちていく。


昨晩は永井荷風の『濹東綺譚』を、文中に名指される地名を地図に探しつつ読む。主人公は小説家で、作中には時折彼が目下執筆中の作品『失踪』の一節が差し挟まれる。

小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。わたくしは屢人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過るような誤に陥ったこともあった。(『濹東綺譚』)

本作に限らず、永井の作品に印象的なのは、そこここの建物だとか景色だとかよりもむしろ、それらの間の往来を可能にする交通網(道路、電車、乗合バス、水路…)への執着だ。とはいえそれは、たとえば車窓の向こうを過ぎ去っていく風景の連続だとかいったシークエンスがそのままナラティヴを推進するわけでもなければ、またコンパートメントやら長椅子やらが人々の出会いや語りの契機として利用されるわけでもない。永井の交通網は全く、それによって地上に疎密を組織し、物語を絡め取る網であって、編み上げられた線のそれぞれは街と街とを切断することで隣り合わせる。

本作は(永井の1936年ごろの取材に基づく)玉ノ井駅(現・東向島駅)周辺の銘酒屋(私娼窟)を舞台に展開するが、これはもともと浅草裏手に広がっていたものが、区画整理と関東大震災(1923年)に追われてこの地に移ってきたものだ。隅田川と荒川(荒川放水路が竣工したのは1930年)に挟まれて浮かぶ街、度重なる新道整備や鉄道敷設、廃線の中でその目抜き通りをくらくらと移しつつある街。江戸=東京にとっての「向こうの島」である街。

この街を永井はいかにも水捌けの悪そうな、ひとつの澱みとして描いている。しつこく顔に群がる蚊、溢れるドブ。事実それは物語の条件を成す澱みだ。河川を含む無数の交通の網目によって形作られたひとつの澱みだ。


水の臭い。永いことそれを恐れている。2019年、18きっぷ一枚で常磐線その他を乗り継いで、線路沿い、道路沿いの多くの街の傍らを通過した。かつて波に洗われた街々だ。

同じ年、大雨。各地の河川沿いに住む人々の悲鳴がネットを通じて押し入ってきた。

今の午前は、たまたま存在を知った東京下水道局の下水道台帳で、道路の下を延々這い回り、最後に処理場へと至る矢印を延々追いかけて過ごした(少々意外なことに、地図上で並走している下水道管の中身は必ずしも同じ方向へと流れているわけではないのだと知った)。

我が家は2度、下水の詰まりを経験している。2度とも同じ業者さん(同じ気のいいおじさん)に清掃をお願いした。高圧洗浄機に使うために、我が家の一つしかない水道からホースを延ばした。その何時間もの間、私は、そしてより重要なことには、屋外で作業する業者さんは、水道網へのアクセスを上下ともに失うことになるのだと気付いた。すぐ目の前ではそれらがずっと、短絡状態で押し合いへし合いしているというのに。


外は夜だ。





2020年10月29日木曜日

20201029

8:00 現在、コーヒーは一杯、コロンビアのゲイシャ。粒度を細かくしたのもあるのか、また違った印象。もともと、紅茶を思わせるフレーバーというのが、その枯れ草の香りと収斂味の産物なのか、どこか舌の上の一帯に、さーっと広大な空白の域(たとえば一滴の洗剤がフライパンに浮いた油を一瞬で淵の方へと押し遣るような、疎水性の域)が開き、そこに鈍く雨の予感を含み込んだ風が吹き抜けるような感覚を与えるとすれば、今回はその風が凪いでおり、置き放たれた空白に立ち尽くして、露を落とす大気の微かな湿り気を皮膚に感じている。書いていてなんとなくDeath Stranding の風景を思い出してしまった。


昨日はなんだったんだ。平倉圭「動物に命令すること」を読んだ。2015年1月開催のシンポジウム「新たな普遍性をもとめてーー小林康夫との対話」での短い論文で、いまとなってはweb 上での在処がわからなくなってしまっているのが残念だ。

動物と話すこと。動物に命令すること。動物を名前で呼ぶこと。言葉が縁取ろうとするそのひろがりの際の未だ見通せぬ約束へと、ともに飛び込むこと。

言語の内で話す限り、私たちは常に他者の口で語り、私たちは常に過去の反復として語る。異種間の対話とは、そうした反復の外部において、全く即興的に都度やり取りされる試みの前線である。相手はおろか、私の身体がいま、果たして何を言っているのか、「何かを」言っているのかさえも一向にわからないままに繰り広げられる、それはダンスだ。

それは言語以前の経験である、のみならず、時間以前のひとつの出会いだろう。

「探せ!」…しかし何を?「フライデー!」…しかしそれは誰のことだ?すでに全てが確定した未来から今を振り返る素振りをして、「それは何であったことになるだろう」などと言うことは出来ない。それはその未来に向けて、投げやりなまでに開かれており、私たちはそれを囲い込むことなく、訳のわからぬままに、目の前の他者をそっと名前で読んでみる。


ジャック・デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の参照があったのかどうかを私は知らないけれど、  


あ駄目だ日記つらい


2020年10月28日水曜日

20201028

8:30 現在、コーヒーは一杯、コロンビアのゲイシャ。

9:30 現在、コーヒーは二杯目、ケニアのウォッシュト。粒度を細かくした。ミルクティーの印象。

昨日は日記を書いた。 『女生徒』についてあんなに長々と書くことになるとはおもわなかった。あれはちょっと能天気すぎるくらい「エモい」「わかりみが深い」作品で、太宰が何を思ってあれを書いたのかは知らないけれど、こんなもの、とほくそ笑んでいたのか、そのほくそ笑みつつ、しかしこれはまさしく自分だ、といよいよ抉られていたのか。

夜あんまりにだるく、しかしだるい時に限って布団に入るとかえって眠れなかったりすることは目に見えていたので、布団でテッド・チャン『息吹』より、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」を途中まで読む。英語圏の作家ってなんであんなにも結婚とセックスに執着するのだろうとはいつも思うことだけれど、この作品もまたそんな臭いを臭わせつつも、そこにもう一歩踏み込んだ構成をしているような感じ。

なんだか昨日の夜から液晶画面が辛い。

2020年10月27日火曜日

20201027 行って帰る、女生徒、あなた

 7:30 現在、コーヒーは一杯、昨日買ったルワンダ。派手な酸味やフレーバーこそないが、喉の奥にまですっと芯の通った、とてもスムースな質感。

8:30 現在、コーヒーは二杯目、同じく、コロンビアのゲイシャ。レモンを搾った紅茶の、枯れ草のような香りと、微かに舌をくすぐる渋み、酸味ははじめ、離れたところで露払いするように引き立て役に徹する、かに思われたが、次第に(渋みと併さってか)黒い皮の果実、ブドウのような酸味へと変わる。


昨日は久しぶりに街に出た。ほとんど半年ぶりではないだろうか、Suica に眠っていた800円分の磁気データが身震いする。先の二つのコーヒーはいずれもその帰り道、アメ横のビタールで買ったものだ。店先に積み上がる雑多な輸入食材の数々に埋もれるように、良質で、価格も手頃な豆を扱っている。常に複数産地の豆を広く取り揃え、回転が早いのか、鮮度も良く、とてもありがたい。今回など、いつものケースの一つにしれっとゲイシャ種の豆が並べられており、目を疑ってしまった。

その貧弱さと病弱さゆえ国際市場では永らく忘れられていたゲイシャ種だが、研究用途で運ばれたコスタリカを経由し、2004年頃、パナマはエスメラルダ農園で収穫されたものが品評会で話題を攫って以来、すっかり希少な高級豆として名が広まることになる。殊更に「再発見」の地であるパナマ産が名高いが(品種としても少し特殊だという)、私が過去に飲んだことがあるのは原産地でもあるエチオピアと、あとはコスタリカのもので、コロンビア産は今回初めて知った。

そんな事情があって、入荷したらどこの店でも散々騒ぎ立てるような豆なのだから、それが何でもないような顔して並んでいるのを見た私の戸惑いも無理からぬものであると思う。 


ところでこれは帰り道での話なのであり、直接の行き先は銀座で、このご時世に面倒臭いし無印かユニクロあたりで適当な冬服を探し、手ぶらにおわる。どうも私が衣服に求めるものはまず布地への偏執で、そしてユニクロにはそれが無い。売り場に踏み入る度に私を絶望させるそれらはいわば衣服の実物大模型で、他を指さすには足りようがそれ自体に手を伸ばすにはあまりにおぞましい(あるいはそれはさらに一段高等なフェティシズムなのか)。

すごすごと引き下がってビゴでロデヴとオーベルニュを買って銀座を後にして、アメ横を通って帰途につく。ギャラリーとかによる気力はまだ無い。寒くなったらあるいは。


髪が大変に鬱陶しい。何かあった日についての日記をどう書いて良いものかがよくわからない。邪魔だ。


昨日は帰宅後、しばらく休んでから、こんなにも歩いたのも久しぶりだ、夜は買い出しにも出た、ここのところ買い出しもいつも夜だったので、日中の街も久しぶりだ、傾いた日に照らされて発光する、びん・缶回収用の青いネット。


『女生徒』を最後まで読んだ。遅れて生きている自分、そうした在り方への深い諦めがある。他に遅れて産まれてきた、ただその一点だけを根拠に、わたしはいま娘なのだ。お父さんの死に遅れた、ただその一点だけを根拠に、わたしは生きているのだ。朝は夜に遅れて、夜は朝に遅れてやってくる、ただその一点だけをを根拠に、それは朝であり夜であり、その間にあってわたしはいつも、「あさ、眼をさます」のだ。

生は小説などではない。「いま、いま、いま、と指でおさえ」るうちに、スライドしていくように過ぎ去っていく。あのいまがあり、このいまがある、それだけだ。それなのに、手応えもなく過ぎ去ったはずの「いま」は、どこかで確かに降り積り、伊藤みたいに、今井田みたいに、いつかわたしもなってしまうのだ、厭らしい。しかしいちばん厭らしいのは、伊藤や今井田であること以上に、それに遅れてそこへと静かに、確かに、わたしを押し流していくであろう、この「いま」の、あまりにも微視的な嵩張りであり、そしてその嵩張り、「いま」を絶えず過去から未来からあぶれさせるその嵩張り、それ自体が「わたし」の身体に他ならないという、その事実なのだ。

終盤、あまりに突然にその呪いはこぼれ落ちる。「わるいのは、あなただ」。

読者のことではないだろう。というのは、「作中人物であるわたし」に対立するさせられる限りでの、単にメタフィクショナルな構図の中で、ただ読者であるというその一点においてのみ責めを負わされるところの、「読者であるあなた」のことではないだろう。

「わたし」が断罪は、「あなた」という呼びかけに応じ得る全て、世界の「「わたし」」の総体にこそ向けられている。「わたし」は、「わたし」にとっての「あなた」であり得る全ての「「わたし」」にとっての「あなた」である限りで、ただその一点だけを根拠に、「わたし」として産まれてしまった。そのヤマビコ状の遅延構造の総体への、これはなけなしの唾棄であろう。

数度にわたる呼びかけにしかしもはや決して応えることのない、二重に異-性であるところの「お父さん」は、それゆえに「わたし」にとっての代え難いよすがとなっている。生きることからちょっと斜傍に逸れるための、それは夾雑物としての希望である。


昨日と同じ24時間だけの時間が今日もまたこうして過ぎ去りつつある。昨日であればそろそろ再び家を出て、スーパーマーケットへと向かう路地を闊歩している頃だろうか。久しぶりの長い外出、畳を踏むのとは違うアスファルトの密度が靴底を突き、足裏はそれを掴んでは押し返す、そこにそちらは後方である。全ての道は道であろうとする限り原理的に一方通行であり、対向者が向かってくるそのたびにわたしは「あなた」「あなた」と呼び掛ける。わたしは道を右に避け、それはあなたにとって左であり、あなたが多少なりとも良識を持ち合わせているならば、あなたが避けるのもまたあなたの道の右へと向けてだ。わたしだってそうしただろう。

こうして道は今日も道である。数十分もすれば同じその道を逆に辿る、買い物袋を肩に抱えたわたしが、あなたが、そこを通ることだろう。こうして道はなおも道であり続ける。わたしはわたしであり続ける。わるいのは、あなただ。











2020年10月25日日曜日

20201025 残り味、分布、浸し

10:00 現在、コーヒーは一杯、ケニアのウォッシュト。少し風味が落ち着いてきた。一瞬ハーブ入りのソーセージのような香りを聴いた気がする。

寝過ごした。起きたら陽が久々にさっくりと差しており、ここぞとシーツを洗って干した。なんの夢を見たのだったか、何か薄汚れた雨合羽、ハリと折れ、を、リノリウム張りの廊下で被った気がする。体育館のステージの、遠く天井から真下に垂れ下がる重い幕が音をよく吸収する暗がり、丈夫で表面のつるっとした工作紙(なんと呼ぶのだったか、図工の時間、前の席から順々に回されてくる、溶着ポリ袋に封じられた紙束のしっとりとした重みが、私には光だった)のような色彩の質感が踊る、鈍く眩い照明機材、対照に呑気にのっぺりだだっ広い板張りの床面。近頃小中学校時代の記憶の断片が入り混じって起床前数十分の脳裏を駆け擦り去っていくことがよくある。

上履きの足音に笑われて起きるその8時間前のこととてまた同じこの畳の上のこと、昨日はいくつか面白い記事を見つけてサーフィンだった。


一つ目、「ECXとは何だったのか?日本の功罪」

https://coffeefanatics.jp/ethiopian-commodity-exchange/

2008に設立されたECX(The Ethiopia Commodity Exchange)の采配のもと、エチオピア全域のコーヒーチェリーの大部分は国内9つの集積所に集約され、それぞれの中でグレード付け、ロット形成されて流通するようになった。コーヒーチェリーの流通の透明化と効率化のための施策とのことだが、他方これは地域ごとの特色を重んじる農園や業者にとっては冬の時代の訪れだったと言う。

著者によれば、その背景には、同国のコーヒーの最大の売り手であった日本が2006年に設定した輸入品の残留農薬規制によるコーヒー輸出の不振があり、先のECXの施策の主な目的はむしろ流通の効率化による外貨獲得に向けられていたという話。

たまたま今朝のこと、検出されたオクラトキシンを理由にケニア産のコーヒー豆が日韓で受け入れ拒否されたとの記事が流れてきた。あるいは先の記事もこれを念頭に書かれたものだったのかもしれない。

「Kenyan coffee risks losing global appeal on chemicals」(2020 10/6付けの記事)

https://www.businessdailyafrica.com/bd/markets/commodities/kenyan-coffee-risks-losing-global-appeal-on-chemicals-2458028


二つ目、「色:ヘキサコードから眼球まで」(全3回) 

https://postd.cc/color/

簡単に三原色なんて言うけれども、人間の網膜に並ぶ三種類の錐体細胞をそれぞれ励起させる周波数の分布と、RGBやらXYZやらの色空間を構成する各軸と、ディスプレイに敷き詰められた三つ一組のサブピクセルに設定された分光分布は、それぞれまるで異なるものであり、それらは決して互いにシームレスに変換されるものでもない。そんな込み入った話題を逐一説明しつつ、最後にそこに「ヘキサコードから眼球まで」という一本のストーリーを通して、スピード感をもってまとめられており、気持ちよい解説。


あとはエドガー・ダイクストラ Edsgar W. Dijkstra の名を知った。最短経路問題の有名な解法、ダイクストラ法の考案者。また、プログラミングにおけるgoto文除去運動の発端を作った人。構造化プログラミングの父。空想上の企業、Mathematics Inc. 会長。それはそれとしても、Dijkstra、堤防のそばに住む者。良い名だ。英語における「dike(堤防)」に相当する語はオランダ語で「dijk」と綴られる。そもそもこの語自体、ノルドの血、フリースラントの低地特有の泥臭さを強く匂わせる語だ。


私は言語能力が著しく低く、訓練のためもあってこの日記もこうして書かれているわけであるが、まあおそらく一歩先、一歩前との関係の中で書くことができないのだと思う。すでにまとまりをもって完成してある文章を要約するのもかなり時間がかかる。

明日の日記は「昨日は日記を書いた」になりそうだ。体調はあまり良くない。腹と脳天とが細長くて濁った綿飴で貫かれているような気分。


冷たい煮干しと高野豆腐を食んだ。冷たい食パンを噛んだ。ベジマイトを舐めた。そうした履歴。




2020年10月24日土曜日

20201024 ワン、ルー、ム

9:00 現在、コーヒーは一杯、UCCのザンビア。

久々に牛乳を買ったので、朝はフレンチトーストを食べた。今年になってから、フレンチトーストは甘くないほうが余程美味しいと気付き、以来味付けは塩とカルダモンだけになっている。

一昨日の買い出しの成果を踏まえ、昨日は牛スネ肉を野菜と一緒にをワインで煮たのと、人参の葉っぱ他のかき揚げ。使わないのでめんつゆは持っていないのだが、天ぷらのつゆとしてポン酢を使うのは案外違和感がないと気付く。酸味は油に中和されてほとんど目立たず、変に甘ったるくない分むしろ良いという人もいるかもしれない。食べた後どうせならとガス台ごとどかして掃除したのでやり切った感がある。

10:00 現在、コーヒーは二杯目。ケニアのウォッシュト。


昨日のProcessing ではプログラムの構造化について少し読んだ。初期化関数 void setup() とメインループ void draw() 。この二つを軸として、そこから必要に応じて外部の各種の関数に引数 argument を吹っかけたり、戻り値 return value を受け取ったりすることで一つのプログラムとして機能する。やたらに入り組みがちなプログラムをこうして機能ごとにモジュール化することで、その設計や点検が容易になり、また、殊、専らヴィジュアル・イメージ等を扱うことに特化したProcessing の場合、構造化に伴う反復構造は、アニメーション表現の実現において必要不可欠なものである(らしい。正直まだあまり納得がいっていない)。


今読んでいる入門書(田中孝太郎・前川峻志『Built with Processing デザイン/アートのためのプログラム入門』)は構造化以前のプログラムをワンルームの部屋に、構造化されたプログラムを一戸建ての家に喩えていた。初期化関数とメインループをそれぞれ玄関と居間とし、それを中心にしていくつもの部屋=関数が組織されているのだという。

構造化には、個々の部屋が互いに対して閉じていることが重要だ。一つの部屋で起こった修正が、いちいち他の部屋にまで波及してしまったのでは無駄手間だからだ。受け取った要求には適当な応答を速やかに返し、お互いの内情の機微には立ち入らない。それが円滑に仕事をこなす秘訣である。

アニメーションとは言うが、それは時間が生まれる、ということではなく、むしろその征服なのだろう。たぶん、極限まで構造化されたプログラムがあったとして、そこには時間も空間も存在しない。時間や空間とは私たちの迷いの相関項であり、私たちが迷うのは、無数の部屋が一つの順路によって結ばれたお屋敷などではなくて、むしろ無駄に大きな一つの部屋、そこに散らばるいくつもの事物の余白においてだ。

私は歩き回れる。全くただこの一点において、私は自らを私である、と宣言する。引き籠っている事物から疎外されている限りで、私は他ならぬ、いやむしろ他としての私である。





2020年10月17日土曜日

20201017 秋雨、女生徒、浮き袋

 7:30現在、コーヒーはまだ淹れてはいない。米を炊いている。玄米の、私は白米よりもこちらの確かなフィールドの方が好きだ。火にかける時間は長い。

たった今味噌汁を用意した。昨晩浸しておいた煮干しに、もやしの残りに、冷凍庫に一年以上放置されていた油揚げ、湯通しして、あとしめじとえのき。小さなミルクパンにいっぱい。

昨日買ってきたサンマもじきに焼くだろう。クチバシから何か飛び出しているのは寄生虫か何かだろうか。


昨晩は買い出しに出た。上着を羽織るのは夏が明けてから初めてだったか。イオンは最近、備え付けのスマートフォンでバーコード読み取り、セルフ会計できるようになり、このご時世にはとても気楽でありがたい。

土鍋の底でぱちぱち鳴き出した米をもう少し追い込みつつ、魚焼きグリルに火を入れる。味噌汁は少しおいてキノコと油揚げの味が汁に馴染んできたようだ。

昨晩は色々な食材がずいぶん安く手に入って嬉しい。先のサンマは3尾で150円だった。それと一尾分のゴマサバの切り身80円、鯛の頭30円。それとキャベツやら、もやしやら。柿もひとつ。

サンマは今朝の分一尾を残して冷凍した。適当な大きさの保存袋を探した結果、メゾン・カイザーのポリ袋に無事収まったので、少し笑ってしまった。相当昔にもらったはずの、バゲット保存用のものだ。パン屋にももうながいこと入っていない。

サンマがぶすぶす身を焦がす音を寄越している。


8:30現在、コーヒーは一杯。コロンビアのウォッシュト。なめらかな質感に華やかな酸味が心地よい。外で濡れたアスファルトを轢き回す車輪の音の寒々しさと斜交う。

朝食と洗い物はすでに済ませた。サンマのクチバシに飛び出した硬い鋭角はどうやら頭蓋の一部だった。

昨日音読したのは太宰治の「女生徒」冒頭、「得意である。」のところまで、を2回。いずれも10分と少し。私はあの小説が好きだ、朝、目を覚まして以来ぽちぽち去来する諸々が、移り気の都度に、お仕舞い、と断ち切られるのではなく、句点を跨いで、喰み出しあって、斑らけをなす、あるいはポリリズム。その意味で、朗読に向いた作品かもしれない。グリルの網の上、裂けた横腹から覗く魚の肋骨を数えるように。移した皿の上で、白く凝固した肉を解して骨を梳き取るように。


魚の浮きぶくろはもともと、肺が変化したものなのだという。古代の魚類が海水から淡水へと進出するに従い、空気中から酸素を得る器官として獲得したのが肺であり、その役割を保持したま現代に至るのが、ズバリの名を持つハイギョのような肺を持つ魚類、淡水からさらに陸へと上がった両生類、そしてその他あらゆる四肢動物である。翻って淡水から再び海へと戻り、その際に肺を浮力の調整器官、すなわち浮き袋として転用したのが私たちに馴染みある魚類の大多数である。その中には再び淡水へと踵を返した淡水魚や、海底での生活に特化して浮き袋を失ったヒラメやホッケようなものもいる。

コイやナマズ、ニシンの仲間はこの浮き袋に反響する音を聴覚の補助に利用するという。彼らは音を腹で聴くのだ。


もしかれらに声があったならば、かれらは自らの声をどのように聴くだろうか。耳栓をして声を発する、あのくぐもった声が頭蓋いっぱいに反響してどうしようもなくむず痒い、あの感覚を思い出しながら。


「女生徒」冒頭には短い語の反復が数多く現れる。どきどき、むかむか、また、また、とうとうおしまいに。濁って、濁って、しらじらしい、いやだ、いやだ。

その反復は、第一声に、ひとつ遅れて第二声をまた重ねるその反覆は、行き着く先もないままに、ただ内向きに落ち込んでいく内語の、内省の、出鱈目な反響の輻輳する果てに、場末の吹き溜まりのように現れる「私」の、(そうだ、「我思う、故に…」が頑なに隠匿しようとした、)あまりに遣る瀬無いあらわれの形象だろう。私は、私が口を開く、発せられた「あ」に、ひとつ遅れて反響する耳骨の、鼓膜の、はみ出した傍らおいて私として、「あさ、眼をさます」のだろう、水底に沈澱する澱粉のように。そしておそらく彼女の子宮を介して、母と娘の反覆のなかに私としてあさ、眼をさますのだろう。

そうしたやりきれない反復のなかにある私に抗うように、ふと、「お父さん」などと、小さい声で呼んでみる。大空を一杯に映すような美しい目に憧れてみる。憧れて、自分の目のたどんのように光を押し殺す多孔質な表面を、いっそのこと涙で湿してしとやかに覆ってしまいたいと思ったりする。

そんなことを脈絡なしに夢想しながらも、日はまた暮れて、またあけて、また、あさ、眼をさますのだろう。


10:30現在、コーヒーは二杯目。グアテマラのウォッシュト。この産地には意外なほどの繊細な、皮に覆われたままの桃を嗅いだような清醇な香気。一歩退いたやさしい酸味。しかし去り際、不意に焚き火の煙が一瞬鼻先をよぎったような感覚があり、なつかしくて少し泣きそうになる。


外は雨である。

2020年10月16日金曜日

20201016 地、灰、愛

 11:00現在、コーヒーは1杯、今日は新しく開封した、インドのカラディカン農園、ナチュラル。存在感の強いスパイス感のせいか、一瞬、水に溶いたココアのようなざらりとした質感を錯覚するが、それは口腔にまとわりつくことなく、赤ワインのような挙動で流れていく。後味にダークチョコレート。冷めるにつれて徐々に口蓋に漂うレモンのような風味、時折閃くようにあんずバーのような酸味が感じられる。

国内に抱える紅茶の特産地の名の数々の陰に霞んでか、コーヒーの産地としてのイメージがあまりない(ような気がする)インドだが、実のところ常に世界のコーヒー生産量の上位に食い込む一大コーヒー大国であり、しかもその大部分をカルナータカ州、ケーララ州、タミルナードゥ州からなるインド最南端3州が占めている。  


その3巨頭の中で断とつであるカルナータカ州のチクマガルールは、伝承によれば、コーヒー豆がインドに伝わった初めての地であり、なんでも16世紀だか17世紀だか、僧侶ババ・ブーダンがイエメンから秘密裏に、遠路はるばる7粒のコーヒー豆を持ち帰ったのだという。 

真偽はともかく、この地はインド亜大陸の西海岸を縁取る西ガーツ山脈に位置する高地であり、コーヒーの産地として適していたことは事実であって、案の定後年大英帝国がこのあたり一帯でコーヒーの大規模なプランテーションを始めることになる(マイソール・コーヒー)。ちなみにチクマガルールから山脈を辿ってもう少し南に降ったところには紅茶の産地として名高いニルギリ丘陵が広がっており、そこを走るニルギリ山岳鉄道の名もまた有名だ。


というか正直なところ、私の中での順番は逆向きだった。

最初に知ったのは「ニルギリ」という名詞、それは作詞:抱きしめたトゥナイト、作曲:ハチ(言うまでもなく、後の米津玄師)による短い歌のタイトルであって、また私がそれを初めて聞いたのは、今はすでに引退しているVTuber久遠千歳のカバー曲でのことだ、彼女は死ねないのであって、その曲には谷に落ちていく汽車が登場する。

その曲を知って少したったころ、近所のイオンの値下げコーナーにニルギリの茶葉を見つけた。450円+税で買って帰った。

コーヒーの方はそれらとは全く別ルートで知ったことだが、それらは机の上に開いた地図帳の見開きの上で隣り合っている。


昨晩は1時間くらい音読をした。たまたまkindleに入れてあった三方行成『トランスヒューマンガンマバースト童話集』収録「地球灰かぶり姫」。「継母」と「シンデレラ」という頻出語がとにかく舌が回らず最後の頃にはへろへろになりながらの一時。死のうだなんて馬鹿馬鹿しいとばかりに地を覆い尽くす灰を踏み散らして幸せなシンデレラ。ガンマ線バーストにも負けないくらいのずっと、ずっとの愛のおはなし。


参考

Daily Coffee News “Coffee in India: A Complex History and a Promising Future” October  2, 2018

https://dailycoffeenews.com/2018/10/02/coffee-in-india-a-complex-history-and-a-promising-future/