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2020年11月25日水曜日

20201125 高層、廃道、無国籍

9:00 現在、コーヒーはすでに二杯。タンザニアのウォッシュト(キリマンジャロ)と、コロンビアのウォッシュト(ゲイシャ)。

タンザニアはキリマンジャロと名乗るも酸味は控えめ。華やかさとも豊潤とも刺激とも距離をおく、どこか枯れて鄙びた印象。コロンビアは口にすると一瞬の空白ののち、ゲイシャ種によく言われるような紅茶というよりはむしろ中国茶のような、少し湿って微発酵した葉っぱのような風味が、すこしバタつきつつもふっと口の中に広がり、そこに加えていくらかの渋みを舌に残して去っていく。


昨日は銀座に最近できたUNIQLOに初めて入った。地下2階の「ビゴの店」にパンを買いに行くたびにずっと工事やってるなあ、とは思っていたが、既存の建物の1階から4階にかけての床をぶち抜いて吹き抜けにした改修はヘルツォーク&ド・ムーロンのデザインによるものらしい。近くのSONYビル跡地下もそうだけれど、正直私はコンクリートのこういう切断面に弱い。マッタ=クラークが好きなのもその幾らかは案外そんな理由によるものなのかもしれない。

高層ビルの吹き抜けというのはなんとなく妙だ。平面を高さ方向に連続的に操作する能力というのをもとより私は人間に期待していないのかもしれない。同じ平面を判で押したように反復するので精一杯だろう、と。しかし「高層 multi-story」とはいうけれど、それって並行世界ではないよなあ、と思う。それらのストーリーは無数の水道管に貫かれている。

そういえばコールハースの『錯乱のニューヨーク』、読んでないな。


八重洲の飲み屋街一帯で大々的に再開発が始まっており慄く。いくつもの街区を鉄板がまるっと囲い込んでいる。聳え立つ屏風状の扉の奥に閉鎖された道路が見える。道が潰れるというのは、建物が潰れるのとは全く別種のインパクトがある。なんだかんだで私たち(少なくとも、現代日本に住んでいる私たち)はやはりどこに行くにもあらかじめ道の存在を前提してしまっているし、その上を歩き、それに区切られた有限の範囲内でそれを捉えることに慣れてしまっている。そうしたフレームそれ自体が操作の対象として、オブジェクトとしていざ眼前に現れてくると途端に目が眩んでしまう。そうしたフレームは同時に私たち自身を定義するフレームでもあるから。経験として、私たちはどうしようもなく世界と相関しているから。


この平面=計画 plan の内側でなんとかやっていきましょう、そういう話だったでしょう、それが私たち、そういう私たちだったでしょう、それを今更、どうして、流石にそれは私たちの手に余る、手に負えない、もう沢山だ!


上野はアメ横でコーヒー豆と紅棗夾核桃を買う。ナツメの実を切り開いて中にクルミを挟んだお菓子で、昔バイト先の中国の方にお土産に頂いたことがある。どのくらいの歴史をもつお菓子なのか、私は知らないけれど、これはミニマルに悪魔的なお菓子だと思う。ここで「悪魔的」というのは「手段を選ばない」「なんでもあり」「こんなの美味いに決まっている」くらいの意味で、 「ミニマル」というのはそれがしかし味付けも何もなく、ナツメとクルミというわずかに二つの食材だけで構成されているからだ。これはズルい。最大効率にズルい美味しさだ。

私たちは常に何かしらのルールの内側、何かしらのリングの内側で戦っている。フランス料理ならフランス料理、和食なら和食、トルコ料理ならトルコ料理の内側で。ひとつの評価軸、ひとつのフレームの内に留まる。それが良識=常識 bon-sens というものだ。

それを横断するのは両方向に危うい行為だ。リングの外側に放り出されて、評価する側も、される側も、どう身動きをとっていいかわからない。まるで砂漠に投げ出されたかのようなものだ。最高に自由で、最高に道無しだ。先に「こっちだ」と言ったもん勝ちのような気もするし、そうして迷って野垂れ死ぬのもまたそいつの勝手だ。それはとてもとてもズルい、美味しい行いだ。それはあまりに手に余る、あまりに滅法な、それはあたかも空虚=バカンスのごとき豊かさだ。


朝は雨が降っていた。薄暗くて投げやりに寒い。ユニクロのダウンを買おうかと思っている(+J のダウンはいまだに実物を拝めていない)。冷蔵庫のスペアリブをどうしたものか。腹腔を支えるアーチ。11月も終盤だ。


追記

途中からフォントが妙になっちゃったけれど許してほしい。



2020年11月11日水曜日

20201111 橋、斜、廓

9:30 現在、コーヒーはすでに二杯。パプアニューギニアのウォッシュトと、UCCのタンザニア・ブレンド。

今日の朝が寒いのは窓が開けっぴらいているからで、今朝洗濯した布団カバーがその窓の内外を跨ぐように、端端をちょいちょいと摘まれて干されている。

10:30 現在、コーヒーは3杯目。エチオピア・シダモのウォッシュト。かなりあっさりとした焼きゆえ、口内に液を含んだ状態ではむしろ香りの邪魔になるくらいなので、これは嗅ぎタバコのようなものだと割り切って、はやばやに飲み込んでしまうのが良いのかもしれない。

吊り下げられた布地のドレープを見るとつい、ガウディの逆さづりの設計模型だとか、吊り橋のロープだとかを連想してしまう人間というのがいて、そういえば昨日は色々と橋だとかその跡だとかをいくつも渡った。
「いくつも」というからには、それは川や水路が幾重にも曲がりくねっているか、あるいは無数に並走し、ときに交錯しているか、そうでなければこちらの方が無闇矢鱈に彼方へ此方へと彷徨いていたかのいずれかであるわけだが、今回に関してはその全てが当てはまるだろう。1930年に荒川放水路が完成するまで、荒川直下の最下流部であった隅田川、その流れが南方へと90度向きを転じる辺り一帯には、かつて広大な湿地帯がひろがり、その南端にはぽつりと浅草市街が浮かんでいた。度重なる治水やら干拓やらの試みの末、そこには無数の掘割が走り、新堀川を渡る合羽橋、山谷堀を跨ぐ今戸橋等々、その名残はいまでも地名に残されている。

この今戸橋といえば思い出されるのは永井荷風による初期作『すみだ川』(執筆は1909年という)、幼き長吉が夜な夜なお糸を待ち侘びた木橋の欄干だ。

その後『日和下駄』(1915年)序文の永井は「木造の今戸橋は蚤くも變じて鐡の釣橋となり」と記しているが、山谷堀が1976年から暗渠化されるころ掛かっていた今戸橋は1926年竣工の桁橋であった。それ以前の10年に満たない短いあいだ、先代の鉄橋が掛かっていたということなのだろうか。

『すみだ川』の当時はまだ言問橋も掛かっておらず、向島の小梅(現在のスカイツリーの足下あたり)に住うほろ酔いの蘿月は竹屋の渡しに揺られて対岸の長吉の住まいを訪問する。およそ30年を経た『濹東綺譚』(1937年)の頃にはこの言問橋はすでに完成しているが(1937年)、玉の井通いに電車を使う主人公にはあまり利用の機会がなかったようだ、作中ではこの橋の袂で巡査に誰何を受ける他に言問橋への言及はない(ちなみにここで彼が連れていかれる派出所の位置する江戸通りと場道通りの交差点には、現在でも交番が建っている)。

現在の隅田川にはさらにX字状に桜橋が掛かり、それを向島へと渡った先の堤防から住宅街へと向かう道は落差の激しい下り階段になっている。明らかに隅田川の水面より低い位置に、なんでもないように住宅街が広がり、こころなしかアスファルトは少し湿っぽく感じる。街道を北上した先、民家の間に隠れるようにして秋葉神社の境内があり、この脇を抜けたあたりに『濹東綺譚』の主人公が通ったお雪の住処はある。陽が傾くほどに、薄暗い路地を伝って暗がりと冷気が流れ込んでくるように感じられる。


そして傾斜だ。『すみだ川』の長吉は今戸橋から川沿いに延々南下し花街である葭町(かつての元吉原、現在の人形町のあたり)へと向かう。また浅草裏の宮戸座に通っては観劇にのめり込む。
その宮戸座があった通り、千束通りを昨日、たまたま初めて、南の端か北の端まで歩いた。途中から若干東に折れて進んだ先で日本堤ポンプ場ののっぺりとした壁にぶつかるに及んで、先の折れがおそらく吉原遊廓の傾斜角を反映したものであったことに気付いた。吉原のこの北西向きの傾斜角はその門前にあった日本堤に正対するべく設定されたものであり、そしてこの日本堤の角度はおそらく、それ以前からあった音無川(および山谷堀の原型)の流れを、隅田川を受け流す傾斜面として捉え返したものであろう。この地にはベクトル分解の力学が幾重にも交錯している。そうした斜面に導かれて、長吉はまた浅草裏へと通う。


12:30 現在、コーヒーは4杯目。三徳で買ったタンザニア。開封すると、豆のところどころが濡れたような油の浮き。深煎りのもので豆全体をコーティングしている状態なのはよく見るが、そうならないのは油の粘性かなにかの影響なのか。蒸らしで若干木酢液のにおい。


白髭橋を渡って向島を抜ける。左岸に沿っては白髭団地の白い巨壁が、堤防越水時の文字通りの最後の砦として連なっている。屋上には、おそらく水道タンクであろうか、オレンジ色のチューブが横たわっているのが秋空に鮮やかだ。対岸にはスーパー堤防で地上げされた汐入の高層団地が立ち並ぶ。それを過ぎた先、南千住駅前の商業施設は学生や子連れ家族で思った以上に賑わっている。ここに常磐線、日比谷線、つくばエクスプレスが束ねあげられて、傍らの貨物駅は広大に平たい鉄路のブーケだ。

どこに行くにも道を行かなければならない。極め付けに条理に串刺しのリアリティがここにある。ここもまた廓だ、私を取り囲む世のくるりを屋上から見渡す、ここもまた廓だ。







2020年11月5日木曜日

20201105 花道、花街、青梅の味

10:00 現在、コーヒーはすでに二杯目、昨日買ったエチオピアのナチュラル。

口にした途端、液の重さがふっと消えて、 細いスリットから差す光のように、舌の上に一すじの道が走るような感覚。そして闇に目が慣れていくように、開演を待つ客席の熱気が静かに高まっていくように、そのランウェイを中心に、次第に、思い出したとでもいうように、さまざまな印象がじわりと浮かぶ。吸水中の粉からすでに漂っていた、少し青臭いマンゴーか何かの酸味。重い木のテーブルにグラスがことりと置かれるような、静かな苦味。砂糖が水分を吸ってさらりとほどけていくようななめらかなテクスチュア。


今朝の朝食、ご飯と、なめこ、大根、高野豆腐の味噌汁は昨日の残り。加えて厚焼き卵。一時期どうしてもくっついてしまうようになり、作るのをやめていたのが、最近久々に試してみたらまた綺麗に焼けるようになっていた。卵焼き器の方が拗ねていたのかもしれない。

昨晩炊いた玄米は、浸水を忘れていて、せっかくの塩鮭があるので譲れず久々に引っ張り出した圧力鍋でごり押しで炊いたところ、お赤飯もかくやのもちもちに仕上がったのがおもしろく、笑ってしまった。水分量も適当に米と水とを1.5カップずつで、強火スタート、加圧後弱火の20分、放置10分みたいな感じだったのだが。せっかくだししばらくこちらで炊いてみようと思う。中身を確認出来ない点、圧力鍋は闇鍋だ。


もはや主食の座を奪っていた煎餅やらを食べるのをぱたりとやめてひと月あまり、買い出し時の出費が意外なほどコンパクトになり、食事を用意する時の気構えもいい意味でテキトーになった。疲れ切って帰った昨日もほいほいと汁物まで用意したのだから、我ながら立派なものだ。


昨日出たのはまたしても上野のほうで、着いてまず寄るつもりだった店はまだ開店30分前で、待つ間に向かったビタールはなぜかシャッターが下りていた。遣る方なくずらずらと足を引き摺り東に向かう。

手摺り越しに差し向かう隅田川の水面はいつも私のへそぐらいまでぐっと高く競り上がって見える。秋の日射が川面に落とす両国橋の影は対岸には冴え冴えと、此岸に寄るほどに境目を波にほどかれて色々のモザイク細工のようだ。陽が差し込む側に回ると、川の鏡面が橋に翳されて押し黙ったところに水中からの光が浮かび上がり、そこだけ古いガラス瓶のように藻緑色で。水の重たさ。


蔵前のアンビカで諸々の食材を調達する。5kg入りのバスマティが格安で、余程ひっ提げて帰ろうかとも思ったが、断念。値札のない、ピンポン玉よりひとふた回り小さい何かの果実か冷蔵庫に山積みになっていた。微かに梨肌の黄緑色の果皮は薄く、透き通っており、中に液胞を抱え込んでいるかのようだったので注意深く摘み上げたが、思いの外丈夫なようだ。以前とあるコーヒーのカッピングコメントにあったセイヨウスグリに少し似ているな、と思いつつ、おそるおそるふたつをかごに転がした。


当初は隅田川沿いを三ノ輪方面に歩けたらと(永井荷風ルート)思っていたが、先に果たせなかった予定を済ますべく、上野へと引き返す。ビタールはやはり閉まっていた。これからどうしたものかと思ったが、不忍池にはまだ蓮の葉が残り、そういえば駒込あたりにまだ通販でしか利用したことのなかいコーヒー屋があったことを思い出し、そこに寄りしな歩いて帰ることにする。結果として上野から3時間近く掛かった。5kg入りの米袋など買わないで良かったと思う。


外出した日の夜はいつも不思議と時間がある。夜寝る前、永井荷風の『すみだ川』を読む。永井のかなり若い頃の作品で、書いたのは明治42年(1909年)のこととある。明治42年といえば、荒川(当時はそのほとんど全流が隅田川に注いでいた)流域を水浸しにした明治40年洪水の直後であり、また翌年には(翌年着工の荒川放水路建設決定のダメ押しになったであろう)明治43年洪水を控えている頃だ。永井自身は序文中でこれらの洪水に直接言及してはいないけれど、急速に移ろいゆく江戸-東京の風景の水際としての川という場所感はこの時点から既に強くあらわれている。

ところで作中の主人公のひとり、若い長吉は、芸者修行に葭町(現・人形町付近)へと移り住んだ幼馴染のお糸の影を追い、今戸橋(山谷堀の隅田川との合流点)の自宅から隅田川沿いを延々下っていく。葭町はかつて元吉原があった地で、1668年に吉原が現在の浅草裏に移ってからはそこに芸妓が移り住み、戦後しばらくまで花街として栄えることになる。

普段東京にいても意識することはほとんどないが、こうした花街、廓街の跡地(というのは、しばしば政府の命によって街ごと作られ、街ごと移転された跡地)は案外あちこちに残っていたりする。

またしても話は戻って昨日の上野の帰り、東京大学裏の入り組んだ住宅街を分け行った先、根津神社の鳥居に行き当たった。それまでは聞き齧ったことがあるばかりだったが、このあたりにもかつて根津遊郭という廓街が広がっていたらしい。吉原大火の際には逃れてきた吉原の遊女も受け入れたが、東京大学の近辺ゆえに問題視されたこともあり(東大の出の坪内逍遥の妻はこの地で見染めた遊女)、1888年には東京湾の埋立地に構えた洲崎遊郭へと移転を命じられる(『濹東綺譚』の主人公はこの洲崎遊郭を舞台にした小説を書いたことがあるとの描写があった。『元八まん』中の永井も、電車(城東電気軌道?)の洲崎大門前で下車して遊郭へと帰っていく遊女を目撃している)。こちらも現在ではその街区割りを残して他には見る影もないことは言うまでもない。


読み終わった頃には0時を回っていたが、今朝は案外普通に起きて、朝食をとり、コーヒーを試し、晴れていたのでぬるま湯でぬいぐるみを洗った。


アンビカで買った果実は、レシートの印字には「amla」とあった。調べると、和名をユカン(油柑)といい、主にインド圏で食用に栽培されているらしい。スグリとは全く関係がなかった。包丁を入れると想像よりも遥かに固く、ざらりとした感触で、中心に種があるらしく、これが固くて割ることもできず、またリンゴやアボカドを剥くときのように捻って種を外すことも出来ない。仕方がないので直に齧り付くと、皮と実に境の無い、細目の紙やすりのようなザラリとした歯触りで、歯切れは非常に悪い。そして強い酸味と渋み。問題の種と実とはしっかり絡み合っている。あえて例えるならば、とても若い青梅の、実の部分を全て突き固めた皮に置き換えたような感じだろうか。歯触りの悪さゆえ、スライスするのが適当かと思う。インドではおもに漬物(ウールガイの類だろうか)にするという。

外からは焼かれたアスファルトの臭いが漂ってくる。スコップを震わせる振動が大なり小なり、不規則にぶつかり弾けては鉄板をジタバタまだらに鳴らしている。










2020年11月3日火曜日

20201103 水の臭い

8:00 現在、コーヒーは一杯、ブラジルのナチュラル。 ブラジルらしいチョコレートのような甘みは引き出しつつも、それを穏やかながらも印象的な青みのある酸味、青りんごとか、むしろタデ科の類の?茎のそれを思わせる酸味が引き立てる。とても滑らかなので、飲み込むとすっと引き、あとにかすかな香味が口腔に漂う。チョコレートホイップを纏ったケーキにイチゴが載っていると若干疑問を覚えるけれど、それがうまい具合に口の中で混ざるとイチゴの酸味がチョコの油分を具合よく洗い流して幸福な感情が口に湧く、そんな感じ。


昨日の夕方ごろから便りなさげに降っていた雨の気配は意外にもまだ続いており、湿った大気が少し向こうの幹線道路を走るタイヤの音を効率よくこちらに届ける。朝食には昨日の朝焼いてみたクランペットの残りをトーストする。鍋肌に平たく均された焼き目の表面を、ナイフで削ったバターの欠片が滑り落ちていく。


昨晩は永井荷風の『濹東綺譚』を、文中に名指される地名を地図に探しつつ読む。主人公は小説家で、作中には時折彼が目下執筆中の作品『失踪』の一節が差し挟まれる。

小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。わたくしは屢人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過るような誤に陥ったこともあった。(『濹東綺譚』)

本作に限らず、永井の作品に印象的なのは、そこここの建物だとか景色だとかよりもむしろ、それらの間の往来を可能にする交通網(道路、電車、乗合バス、水路…)への執着だ。とはいえそれは、たとえば車窓の向こうを過ぎ去っていく風景の連続だとかいったシークエンスがそのままナラティヴを推進するわけでもなければ、またコンパートメントやら長椅子やらが人々の出会いや語りの契機として利用されるわけでもない。永井の交通網は全く、それによって地上に疎密を組織し、物語を絡め取る網であって、編み上げられた線のそれぞれは街と街とを切断することで隣り合わせる。

本作は(永井の1936年ごろの取材に基づく)玉ノ井駅(現・東向島駅)周辺の銘酒屋(私娼窟)を舞台に展開するが、これはもともと浅草裏手に広がっていたものが、区画整理と関東大震災(1923年)に追われてこの地に移ってきたものだ。隅田川と荒川(荒川放水路が竣工したのは1930年)に挟まれて浮かぶ街、度重なる新道整備や鉄道敷設、廃線の中でその目抜き通りをくらくらと移しつつある街。江戸=東京にとっての「向こうの島」である街。

この街を永井はいかにも水捌けの悪そうな、ひとつの澱みとして描いている。しつこく顔に群がる蚊、溢れるドブ。事実それは物語の条件を成す澱みだ。河川を含む無数の交通の網目によって形作られたひとつの澱みだ。


水の臭い。永いことそれを恐れている。2019年、18きっぷ一枚で常磐線その他を乗り継いで、線路沿い、道路沿いの多くの街の傍らを通過した。かつて波に洗われた街々だ。

同じ年、大雨。各地の河川沿いに住む人々の悲鳴がネットを通じて押し入ってきた。

今の午前は、たまたま存在を知った東京下水道局の下水道台帳で、道路の下を延々這い回り、最後に処理場へと至る矢印を延々追いかけて過ごした(少々意外なことに、地図上で並走している下水道管の中身は必ずしも同じ方向へと流れているわけではないのだと知った)。

我が家は2度、下水の詰まりを経験している。2度とも同じ業者さん(同じ気のいいおじさん)に清掃をお願いした。高圧洗浄機に使うために、我が家の一つしかない水道からホースを延ばした。その何時間もの間、私は、そしてより重要なことには、屋外で作業する業者さんは、水道網へのアクセスを上下ともに失うことになるのだと気付いた。すぐ目の前ではそれらがずっと、短絡状態で押し合いへし合いしているというのに。


外は夜だ。





2020年10月22日木曜日

20201022 青、無、青

 10:00 現在、コーヒーはすでに二杯目。ケニアとグアテマラのウォッシュト、いずれも少し残った豆の混合。

前者は以前4種詰め合わせを注文した際にサンプルをおまけして頂いたもので、昨日開封したもの。「華やかな酸」という形容からなんとなくシトラス系を想像していたのを裏切って、口に含んでまず浮かんだのがブドウを思わせる酸で、ただし赤ワインのような芳醇さに向かうのではなく、ブドウジュースとか、時々むしろレーズンとかを、とびきり上品に、しかしやんちゃに、香らせたような印象だろうか。それでも何かとり逃すところが大きい、商品紹介には「パイナップル、ルバーブ」とあり、ルバーブは食べたことがないのだけれど、その形容はこのあたりに掛かっているのかも知れない。

今朝はそれを桃を嗅ぐようなグアテマラとあわせたので、ブドウの酸味がクロマトグラフにかけたみたいな解かれ方をしてちょっと面白かった。


そうこうするうち、先日ブルーボトルで注文した豆が届いた、やはりケニアの、Kiambu Karinga のウォッシュト。それにしても久々の対面受け取りの気がする。サインまでした。この時勢でたしかに食材以外で実店舗を利用する機会はほぼなくなったとはいえ、置き配やサインの省略もかなり一般化したし、そもそも買い物自体を最小限にしていた。経済的な動機もあるし、これ以上の物流の負担に加担したくもなし。コーヒー豆の購入も極力ゆうパケット配送のものにしていたので、豆の詰まったマチ付き袋一つに、余った空間を緩衝材で埋めて届くブルーボトルの小箱を見て、少し笑ってしまう。ブランドイメージとか梱包資材の統一による効率化とか色々あるのだろうけれど、もう少しなんとかならないものか。


11:45 現在、コーヒーは三杯目。結局我慢できずにブルーボトルのケニアを開封。ああ、いかにもブルーボトルって感じだ、黒いベリーの、華やかかつしっかりとした酸味と収斂感が舌の両サイドをグッと流れて、そしてその間に、小さなペディメントみたいに、微かにシナモンというか八つ橋に練り込まれて香るニッキを思わせる香り、ロースト感。


昨日はまたProcessing を少し触る。for 文とか、random とか。色指定でRGBの各色ともに完全にrandom にしてしまうと全く灰色の世界が広がってしまうことに気付く。それぞれ個別に範囲指定するとかして偏りを与えてやらなければならない。加色混法ゆえの罠である。


「すべての電球が点きっぱなしの電光掲示板」。この喩えを円城塔はどうも気に入っていたようで、私の知る限り二度、それぞれ別の著作中でこれを用いている。情報技術とは常に地と図との間の絡み合いをいかに効果的に組織するかの試行錯誤であり、死の予感を背負っている。

ややもすればホワイトアウトへと至りかねないチキンレースの途上で、私たちは色彩の乱舞に色めく。踊り狂えよ、しかし節度を持って。


無を一つのキャンバスに、それを背にして有をチラつかせれば情報の電達が可能になるとして、課題となるのはその無の広がりそれ自体をいかにあらかじめ定義し、提示しておくかである。無を以って無を送ることはできないのであり、ブルーバックの前でブルーバックの実演販売をしようとするのは困難である。仕方がないので無は適当な太さの輪郭線で縁取られ、そこは無と有が厄介に入れ子状をなした紛争地帯として放置されることになる。

両者をネガポジ反転してみたところで話は同じなのであって、無の中に空いた穴としての有の輪郭を拡大してみるとアンチ・エイリアスやらモスキート・ノイズやらでぶよぶよと気色悪い。


ミニマリズム彫刻の(そのほとんど戯画化された限りでの)展示風景が、最大限の嘲笑を以って提示しているのがまさにこのような状況である。すなわちホワイト・キューブ状の部屋の中心に放置された、ひとまわり小さいもう一つのキューブ。ここでかたや「部屋の外部」と、かたや「空虚な立方体」という、二つの無に挟まれた、て、実にどっちつかずに虚しい「室内」という座を、なすすべなく右往左往するばかりの観客という存在の馬鹿馬鹿しさよ。


さきのブルーボトルのケニアはとうに冷め切っている。舐めると、何故か唐突に、Shake Shack だろうか、ハンバーガー店の記憶が閃いた。ベリー。肉汁。ベリー。いかにもアメリカ都市民らしいパンチ・ラインではあるまいか。 



2020年10月19日月曜日

20201019 玉、治水、イメージ

 8:00現在、コーヒーは一杯。イオンのグアテマラの残り少しとUCCのブレンドの混合。赤ワインの風味と苦味が媒介なしに同じテーブルに投げだされたような感じになってしまう。


ここのところさしたる意味もなしに夜更かししがちだったが、昨晩は体調が優れず早めに就寝。前にも見たことのある嫌な夢を見た。

家族(知らない家族。)と一緒に下りエレベーターに乗っている。途中の階で停まる。外には誰もいないと見たせっかちな父親は、私の背後から手を伸ばして半ば開いた扉を閉じようとするが、それを制してこじ開けようとする乗客。それはなんだかそういう高級スイカみたいに頭部がぬるっと四角い男で、半歩こちらに歩を進めたその男を父親は押し返そうとする。それでも押し入る男を見て、今度はこちら一同が入れ替わりに一時下車しようとするも、男はその中の誰だったかを羽交い締めにして逃さない。通りすがりの誰かもう1人も応戦していた気がする。抵抗も虚しくエレベーターの扉は一度閉まるも、また開き、引き摺り出す。3人分の手足が絡まり合ってどれが誰のどの部位だかが判然としない。その中の誰かが私に「証拠にするため」と、男(どの?)の肌に名前か何かをマジックペンで書き込むように、と頼む。私の応答はといえば「ペンがないから、カッターナイフでいい?」ときた。いいらしい。肌に玉のような血がぽろぽろと滲んで汚らしい。


夢を見る私はなぜこうも詰まることなくころころとイメージを転がせるのか。起きている私はといえばおよそイメージというもの一般に乏しい人間で、南仏の鮮烈な色彩の印象だとか、いつの日かのマドレーヌの香りだとか、まるでピンとこない。小説の筋書きの展開に従ってめくるめく情景が幻燈のようによぎることもないし、家族の顔だってほとんど覚えていない。


9:30現在、コーヒーは二杯目。グアテマラのウォッシュト。微細な和毛に表面を覆われているかのような滑らかさだ。


イメージ。端の無いもの、果てし無いもの。あまりに私の手に余るもの。指でその縁を撫でて、頁を繰ることのできないもの。とてもながいもの。


2019年の春先に青春18きっぷ一枚をかざして行った岐阜の記憶もいよいよあやふやになり(長良川は一体どちら側に向かって流れていたのだったか)、昨日地図帳を開いた。金華山の傍らを流れた長良川は、蛇行しながら南西にしばらく流れる。その舵取りを横目に牽制するように、東海道本線は岐阜市街を抜けたところから若干南西南へと逸れつつ直進する。西岐阜駅と穂積駅との間で、長良川は不意に南南東へと首を傾げ、東海道本線と直交する。

なんということだ。想像が及ばない。しかしその交叉を私はこの目で見たはずではないか、岐阜駅から大垣駅へと向かう列車の窓から。列車にさらにしばらく揺られると、今度は揖斐川の流れと交わる。映画『聲の形』の印象的な一場面を成す鉄橋はこの少し下流に位置するはずだ。その右岸には黒川紀章の設計による大垣フォーラムホテルの背中がポツンと見える。長良川と揖斐川は、そこからさらに30kmも並走したあたりだろうか、ついにはただひとすじの堤を境に隣り合い、そのまましばらく流れた末に最河口でようやく合流し、木曽川と並んで伊勢湾に注ぐ。

なんということだ、およそ想像の及ばないことだ。

木曽川、長良川、揖斐川の三河川が並び流れる現在の濃尾平野の風景はしかし、二度にわたる大規模な治水事業の産物であった。かつて互いに複雑に入り組み、交わり合い、流域に度重なる水害をもたらしていたこれら三川は、1754年の宝暦治水、そして1887年から92年にかけての明治治水による分流工事を経て、互いにほぼ完全に分離されることになる、

そういえばこの地の度重なる水難の痕跡もまた、2019年の訪問で私自身その一端を目にしていた。宿をチェックアウトした直後、成り行きで迷い込んだ金華山をなんとか抜けてたどり着いた長良川の、土手沿いに鎮座するコンクリートの巨大な球体、安藤忠雄設計の長良川国際会議場はちょうど開催されていた成人式に賑わっていた。その傍に立つ石碑と案内板には、1921年から39年にかけての長良川上流改修工事による長良古川、古々川の締め切り工事の記録が記されていた。

絡み合う筋は 容易に自らを横溢し、流域に構えた住居の床を水に浸してしまう。果てし無い恐怖だ。こんなものを矯めつ眇めつ、分かった体で分肢しつつ。堤一枚を隔てて人はその地に安らいだ体で今日も日を暮らしているのだ。


また話は戻って2019年の長良川沿い。記念碑そばのベンチでいくらか時間を潰したのち、国際会議場並びに店を構えるSHERPA COFFEEを訪ねる。ファンヒーターの唸りに揺れる観葉植物、コーヒーと一緒に注文したロールケーキは、まだ東寄りに傾いだ太陽が寄越す光線を、一瞬含んで、溜めて、矯めて、こちらに投げ返すように、なんとなく薄らと黄色だった。

その日それから私は、あちらこちらとつきあたりつつ岐阜駅へと辿り着き、東海道本線に養老鉄道を乗り継いで、養老天命反転地を目指すだろう。明からさまにハリボテの、端っ切れの、しかし内側へと絶えず落ち込んでは、球成す全体を絶えず果て無く覆す、半球あるいは覆水不返の盆。


"The saddest thing is that I have had to use words..."



2020年10月16日金曜日

20201016 地、灰、愛

 11:00現在、コーヒーは1杯、今日は新しく開封した、インドのカラディカン農園、ナチュラル。存在感の強いスパイス感のせいか、一瞬、水に溶いたココアのようなざらりとした質感を錯覚するが、それは口腔にまとわりつくことなく、赤ワインのような挙動で流れていく。後味にダークチョコレート。冷めるにつれて徐々に口蓋に漂うレモンのような風味、時折閃くようにあんずバーのような酸味が感じられる。

国内に抱える紅茶の特産地の名の数々の陰に霞んでか、コーヒーの産地としてのイメージがあまりない(ような気がする)インドだが、実のところ常に世界のコーヒー生産量の上位に食い込む一大コーヒー大国であり、しかもその大部分をカルナータカ州、ケーララ州、タミルナードゥ州からなるインド最南端3州が占めている。  


その3巨頭の中で断とつであるカルナータカ州のチクマガルールは、伝承によれば、コーヒー豆がインドに伝わった初めての地であり、なんでも16世紀だか17世紀だか、僧侶ババ・ブーダンがイエメンから秘密裏に、遠路はるばる7粒のコーヒー豆を持ち帰ったのだという。 

真偽はともかく、この地はインド亜大陸の西海岸を縁取る西ガーツ山脈に位置する高地であり、コーヒーの産地として適していたことは事実であって、案の定後年大英帝国がこのあたり一帯でコーヒーの大規模なプランテーションを始めることになる(マイソール・コーヒー)。ちなみにチクマガルールから山脈を辿ってもう少し南に降ったところには紅茶の産地として名高いニルギリ丘陵が広がっており、そこを走るニルギリ山岳鉄道の名もまた有名だ。


というか正直なところ、私の中での順番は逆向きだった。

最初に知ったのは「ニルギリ」という名詞、それは作詞:抱きしめたトゥナイト、作曲:ハチ(言うまでもなく、後の米津玄師)による短い歌のタイトルであって、また私がそれを初めて聞いたのは、今はすでに引退しているVTuber久遠千歳のカバー曲でのことだ、彼女は死ねないのであって、その曲には谷に落ちていく汽車が登場する。

その曲を知って少したったころ、近所のイオンの値下げコーナーにニルギリの茶葉を見つけた。450円+税で買って帰った。

コーヒーの方はそれらとは全く別ルートで知ったことだが、それらは机の上に開いた地図帳の見開きの上で隣り合っている。


昨晩は1時間くらい音読をした。たまたまkindleに入れてあった三方行成『トランスヒューマンガンマバースト童話集』収録「地球灰かぶり姫」。「継母」と「シンデレラ」という頻出語がとにかく舌が回らず最後の頃にはへろへろになりながらの一時。死のうだなんて馬鹿馬鹿しいとばかりに地を覆い尽くす灰を踏み散らして幸せなシンデレラ。ガンマ線バーストにも負けないくらいのずっと、ずっとの愛のおはなし。


参考

Daily Coffee News “Coffee in India: A Complex History and a Promising Future” October  2, 2018

https://dailycoffeenews.com/2018/10/02/coffee-in-india-a-complex-history-and-a-promising-future/


2019年9月17日火曜日

とてもながいなにかに名前をつけること:関真奈美「敷地|Site」


国分寺駅から武蔵美を目指していくらか歩いたところで、どうやら尋ねられ顔をしている私はその日もひとりの女性に「線路ってどこかしら」と呼び止められた。

困った。駅ならともかく線路となると長すぎて指差すわけにもいかないし、かてて加えて生憎ここらはJRは中央線と武蔵野線とが十文字を成す上そこに西武の国分寺線と多摩湖線とが互いに煮え切らない角度に広がりながら交わったり交わらなかったりしており、なおのこと答えるにあぶなっかしい。
まあ私自身ほんのその十数分前に得たばかりだったそんな知識は結果としてそれなりに役に立ち、そこから西武多摩湖線に突き当たる一本の道を示してことなきを得た。

玉川上水づたいにようやく辿り着いた武蔵美の閑散とした食堂で海南鶏飯(らしい)を食べた後、同敷地内のGallery of The Fine Art Laboratory にて関真奈美「敷地|Site」を見る。

真四角でワンルームの展示空間をどう廻るべきかは鑑賞者にとっていつだって最大の悩みの種のひとつであるけれど、その点について言えばこの展示はいくらか親切で、壁に貼られた写真のその傍らにはそれぞれに短い文章が添えられており、その文章は横書きで、しぜん私はその向きに付き従って室内を時計回りに廻り始める。しかし間もなく、室内に点在する台座の上のオブジェのそれぞれが壁の写真と対応していることに気づいたりして、仕方がないので壁づたいは適当なところで中断されて、時折台座の間を彷徨い歩くことになる。

私たちの視野と記憶はかなり狭く限られており、次のオブジェに向かって歩を進めた瞬間には大抵すでに前のオブジェの記憶の大半は霧散していて、だから私たちはそれがまだ目前にあるうちに写真を撮ってお守りにしておいたりするのだが、オブジェが写真になったところで結局最後に見るのが私であることには変わりなく、結局のところそれらを適当にブツ切りして消化を促すよりほかにない。

部分部分にブツ切りされた対象は、しかしそのままでは腕はただ腕であり脚はただ脚であるばかりであって互いに関係を結ばない。モナドには互いに目配せする窓がないのであり、何かしらの外部の力に依ってそれらを和え纏める必要がある。かつては神へと丸投げできたその役目も、今となってはその間接因果の構図はそのままに、人間の経験の方へと裏返されている。私たちは世界を、まるで自らの身体のように区切り、またまとめ上げる。

この室内に散らばる諸々を「敷地|Site」というひとつの展示へとまとめ上げるのもまたその経験を通してである。まずはもちろん鑑賞者の身体のそれではあるが、しかしこの展示においてはそれに先回りするもうひとつの身体、台座の上の棒人間たちの身体を見逃すことはできないだろう。
室内に点在する台座のそれぞれには幾筋かの針金が、互いに凭れ掛かり合うようにして、なかば崩折れながらも立っている。そしてその傍らに添えられた写真が示すのは、その針金がかつて棒人形状に人型を成しており、壁に掲げられた写真に映る人物を模したポーズでその壁際に立っていた、いつかの時点の記録である。
 
ここで壁際にポーズを決める棒人間の姿とは、写真の画面の色の布置を背景を立地 position として直立し、特定の姿 posture の内に静止 pause する 「人物写真」として切り出し=統合する鑑賞者の姿であり、それと同時にその身体を成している絡み合う5本の針金とは「四肢+一胴=五体」という五人一組 member から成る肢体 membrum へと分節された身体に他ならない。
かつて彼らがその内にあったポーズはすでに見る影もなく失われても、絡まりあう針金の数は依然5本のままであり、その肢体の文節はなお維持されている。鑑賞者によっていま再びかつての、あるいはあらたな、ポーズの内に読み返されるれるのを待ち伏せている。
 

ここで藪から棒にひとつの疑問がある。名付けるとは、対象の全貌をいちどに視界におさめ、それをひとつの統一として、その輪郭を言葉で縁取ることだとすれば、しかしそれが叶わぬほどに「とてもながいなにか」を名付けるには一体どうすればよいのだろうか。例えば私が小平市の広がりやかたちを知るべく Google Maps の画面を拡縮するように、対象の一望が可能になる距離まで視点を後退させればよいだろうか。

しかしここでの悩ましき対象は「おおきい」のではなく「ながい」のであった。
JR中央線の全容を視界に収めようと地図をズームアウトするほどに、東京を東西に貫くその用地はいよいよおぼろげな線となり、しまいにはその名を示す文字とともに消えてしまう。ズームインしたらそれはそれで、線路を表す薄灰色の長い長い線沿いのどこに路線名が記されているものかと画面をこねくりまわす羽目になる。


とてもながい、とは、たとえば立方体が次元をまたいだ反復を逆向きに辿り返す(ズームアウトする)ことでなめらかに針穴へと解消されてしまうのと逆の有り様であろう。常に他の次元へとつっかい棒を差し挟んで抵抗するような有り様、ひとつの敷地がひとつの語、ひとつの住所へと解消されることを拒み、いくつもの敷地を横切り、それらを横目に疾駆していく、場所なき場所としての鉄道のような有り様。消失点(それの担い手が神であれ、あるいはそれと画面を挟んで向かい合う私たちであれ)から発してすべてを飲み込みながら花開く一点透視図法の錐体を絶えず食み出していくこと。

再び今回の展示空間の有り様に立ち戻るなら、たとえば第一の鑑賞者としての針金たちが立つ台座のそれぞれは、それに対応する壁際の写真等々を視界のうちに捉えるべく、まず一旦は透視図法の錐体の場に乗って後退る。しかし部屋の広さは限られている以上、ワンルームの壁面三方から部屋中央に向けて背中合わせに押し込まれたそれらはしまいにはすれ違いあい、結果壁面と台座を結ぶ錐体は互いに交差し侵食しあうことになる(思い出すのは先述の、4路線に囲まれたなか「線路はどこ?」と問われる困惑だ)。

あるいは展示室の一面がまるまるガラス張りになっているのを良いことに、いっそのこと部屋から数歩後退ったところから、この部屋そのものをまるごとひとつのオブジェクトとして回収しようとする者があるかもしれない。ところが周到なことに、ガラス面と向き合う壁面には「うしろ」の文字が、"鏡文字で"記されている。すなわち、「室内から見られる限りで鏡として機能するところのガラス張り」を作品の構造の内にあらかじめ組み込む仕掛けが施してある。


意味作用の差し引き零への清算をひたすら先送りにする滞留は、隠喩的特異によってサイト−スペシフィックに絶ち貫かれることもなく、ものとものとを隣接させつつそれらの間をすり抜けていく。
「敷地|Site」の名状しがたさ。それは自らを自らへと食み出させるように、無限に訴えることなく、無限を待つまでもなく、ただここにおいて逃れようのない横溢である。