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2020年11月17日火曜日

20201117 黴臭い、葉の影、引き延ばし

8:00 現在、コーヒーは一杯。パプアニューギニアのウォッシュト。焙煎後しばらく経って香りが馴染んできたからか、ドリッパーと抽出法の変更のためか、以前より表情がよく伺える。意外にも紅茶のような、枯れ葉の組織からじわりと滲み出すような芳香がある。フルーツでありながらも、どこか弾けきらない、地に臥せったように鬱屈した酸味、昨日食べたラズベリーを思わせる酸味がある。


Raspberry 
--The lightly sweet, fruity, floral, slightly sour and musty aromatic associated with raspberries.

World Coffee Research, Sensory Lexicon (First Edit, 2016) 


フリーズドライでもジャムでも冷凍でもない、生のラズベリーを食べたのはこれが初めてだったかもしれない。赤い液の詰まった幾つもの小胞がビッシリと配列して全体をつくり、果床の跡が大きく窪んでいるので、まるで培養液の中で細胞分裂して育ったミニチュアの臓器のようにみえる。房と房の間からは同じ数だけの毛が生えている。

ラズベリーを見るとまたIKEAのフードコートに行きたくなる。円を一方向に引き伸ばしたような形の白い皿にのせられたチーズケーキの、室温にゆっくりと解けていくクリームチーズとぽろぽろ溢れるクランブルに塗れて皿に纏わりついたラズベリー・ソース。日中の照明はガラス越しの日光に押されてかえって薄暗く、赤いソースの表面に曖昧なハイライトを寄越している。誰もがめいめい勝手な席で、勝手なことを、勝手な方向に向かって話している、これはまだ年が明けて幾月と経たない頃の光景だったか。


9:30 現在、コーヒーは二杯。ホンジュラスのハニー・プロセス。コメントに「グレープフルーツ」とあったのが、実際に口にしての滑らかに甘い第一印象からはいまいち納得できなかったが、しばらくおいて冷めてみると、どこから湧いたのか、グレープフルーツの皮のかすかに渋い酸味が確かにはっきり現れている。


昨晩は買い出しに出た。スーパーマーケットに向かう道中、いつも見上げる好きな樹がある。くたびれた民家の片隅に立つくたびれた樹で、敷地の片隅からだいぶ路上にはみ出して、足下のブロック塀には番地表示のプレート、その傍らに電柱が立ち、幹から分かれた枝先は電線と半ば絡まりそうになっている。電柱の上の方には街灯の頭が挿げられており、夜、私が買い出しに出る時間にはそれが樹の木末に斜めに差し込んでいる。葉の縁周りは黄味に透かされ、その内側はすっと青く発光し、それが互いに折り重なって、ザクザクと筆を重ねるように斑らに暗緑へと沈もうとするが、葉が微かに揺れるたびにそれがまた解けて蛍光する緑が零れ出たりする。そうした葉叢に突き立つ枝はいよいよ黒黒として、樹下のこちらが視点を少し動かすほどに光を蔽いまた洩らしの縞々だ。夏の間はこんもりと茂った枝葉が複雑に光線を応酬していたこの樹も、いまは光源に近くの枝先に僅かに葉を保持するばかりで、幹は以前より少し灯を多く受け、自らの木末の黒い網目がそれを細かに刻んでいる。

3Dグラフィックにおいて、セルフ・シャドウの扱いはひとつの悩みの種であったという。遮蔽幕としての自らが、投影幕としての自らに落とす影。その語の二重の意味でスクリーンとしてのオブジェクト。影とは太陽の視界の残余であり、そこにおいてオブジェクトは自らの内で細かに分裂している。太陽と一対一で差し向かう限りでの自らを、太陽の目に向けて余す所なく照り輝かせながら、その裏側では微細な陰影の経済が自己のあらわれを無限に引き延ばしている。太陽の目を盗み盗み、その引き延ばしのうちにあるのがこの世界だ。






2020年10月14日水曜日

20201014



今日一日の予定を確認しよう。

うん、特にない。ないんだよ。10:00現在コーヒーは一杯、UCCのを淹れた。どんなもんだい、ハカリがいよいよ使い物にならないようだ。


Amazonセール最終日だが、JPRiDEとやらの安ワイヤレスイヤホンとKintoのドリップケトルを買ったもの架迷っている。


ああーー


数日前に台風の域から脱して以来、気温はまた少し上がり、鳴りを潜めていたあの蚊の羽音もまた枕元に戻ってきた。


そういえばの。今朝のtwitterで出雲霞さんの今月いっぱいでの引退を知った。

この種の報にリアルタイムに接するのはにじさんじでは今回が初めてだ。(ホロライヴでは2人、(いずれもいくらか後ろに苦味を残す最後であったが))

出雲さんについては、当人・周りともに納得した上での幸せな幕引きであるようだ。

とはいえ、どんな気持ちなのであろうか、元SEEDS1期の古参、思えばこの間の雨森さんとの謎コラボも(これまでに私が彼女の配信を目にした、実のところ現状それが唯一の回だ)、先日の種1カレー会も、その幾らかは今回の引退の予感が烟るものであったのだろう。


彼女の誕生日記念の場で発せられたこの報も。思うところあっての設定だったのだろう。twitterのTLには、誕生日をただ幸せに祝うイラストのリツイートが並んでいた、その多くはきっと、まだ何も知らぬ当時のファンたちが、この日のために、何日もの時間を掛けて用意してきたもの、この日を祝い、その祝いのうちに終わると思っていたこの日の配信の瞬間に合わせるように、いくつかは予約投稿の機能に委ねられて、サーバーへと放たれたであろう、いくつもの過去の切片。


いわゆるVTuberと呼ばれる人たちを追うようになってわずかに数月の間、それでもすでに活動を終えた配信者たちの名前やら、イラストやら、YouTubeチャンネルの跡地やらに行き当たることが何度かあった、その度に、妙なことだが、死というものがまた意識にのぼってくるようになった。

彼彼女らは、彼彼女らこそは、死ぬのだ。確かに。是も非もなしに。


11:00現在、コーヒーは二杯目。コロンビアの水洗、開封から一週間は経ったか、当初のレモン・キャンデーのような舌にひらたな酸味もだいぶおとなしく感じる。


なんでこんなものを打っているかというと。何やら今まで以上に意識の断絶を感じるからなのだろうか。昨晩寝る前、少しばかり朗読の練習を始めてみた。3分程度の文章をいくつか録音。生まれてこの方避け続けてきた自分の彼の声の緩慢な記録だ。

言葉なしに時間はあるのか、それを描き試そうとひと月前に意気込んで匙を投げそうになっている。しかしやはり多分ないと思う。ないと思うよバラクラバ。


なんとまあ時計はそろそろ正午を回ろうとしていて指はもつれる。キーボードのバネが鳴る。


追記

投稿してから気付いたのだが、死とか枕とか意識の断絶とかに病気だとか病床だとかの含意は無い。みんな元気。