9:30 現在、コーヒーは一杯、ブラジルのナチュラル。いまだに少し煎りがダークになるだけで味わい分けの物差しが全く迷子になってしまう。チョコレート、はよいとして、そこから微かにのぞく酸味にベリー?としか言えなかった私は、付属のノートによれば全くお門違いで、シトラス、アプリコットといった名が並ぶ。
「酸味がおだやか」といった文句で売り込まれるコーヒーを見るたびに我が事のように歯痒く感じてしまうのは、実際そこに私が私自身の志向と能力の乖離を見ているからなのだろう(そしてそれは全く大きなお世話だ、コーヒーに考えられる限りの最上の酸味を知ったところでなおも「おだやか」の方を好んで選ぶ人間などいくらでもいるだろう)。
バナナの酸味というものに気づいたのはごく最近のことだ。日本酒の酸味というのはまだまるでピンと来ない。この夏に買った小瓶入りの信州の白ワインは甘酸っぱの中に日本酒みたいな膨らみを含んでいて驚いた。日本の生ビールはどうにも葬式臭くて好かない。緑の分厚いガラスにエンボス加工という瓶のデザインと安さに釣られて買った麒麟のハートランドはフルーティさが気に入ってしばらく買ったが、何本かめで甘さが気になるようになって止めてしまった。フランス?美味しい。チリ?美味しい。でも正直いうと赤ワインと紅茶の後味の渋みは、いまでも半分苦手に思う。コーヒーを飲んだ後の口の臭いは案外臭いと気付く。タバコの煙は流れているうちは気にならないが、服に染み付く臭いは全く鬱陶しい。でも蚊取り線香の臭いも同じくらい鬱陶しい。粘膜に浮いた血のにおい、段ボールに積もって乾いた埃のにおい、近所の住人がふかす自動車の排ガスのにおい、古い八百屋の店裏で野菜の残骸が腐ったにおい、ガスコンロの上に転がった玉子の殻の裏側の薄皮が焦げ付くにおい、
昨日はクリームシチュー。ほとんど初めてホワイトソースというものを作った。油に篩入れた小麦粉はメイラード反応に芳香を放ちつつブヨブヨ膨張して、自分が粉であったことを忘れる。水にだってあっさり馴染む。クリームにまみれたイチゴは汚いのにホワイトソースに埋まるニンジンは美しく見えるのは何故なのか。エッヂが立っていないからか。
英国史を少し。現在でいうドイツ北岸の出のゲルマン人と、ゲルマン第二波・デンマークのデーン人と、ノルマンディーに寄ってフランス化したのち200年ばかり遅れて攻め入るノルマン人。それらの狭間狭間に瞬くローマあるいはケルト・キリスト教会の影。
この間ユニクロ馬鹿にしたけれど、この秋復活のJil Sander コラボ「+J」は普通に気になる。過去に出たダッフルコート、あれだけは持っており、あれは重くて良いものだった。
12:00 現在、コーヒーは二杯目。昨日と同じエチオピアのナチュラル。淹れたてにはきなこねじりのような風味と焙煎香、その螺旋のから延ばした一本の接線の先にベリーがあり、冷めるにつれてこちらが前面に出てくる。収斂感はしかしひかえめに、より横広に開けた酸味はむしろ柑橘に寄っていく。
世間では連休初日、車のドアの音。