9:00 現在、コーヒーは一杯、UCCのザンビア。
久々に牛乳を買ったので、朝はフレンチトーストを食べた。今年になってから、フレンチトーストは甘くないほうが余程美味しいと気付き、以来味付けは塩とカルダモンだけになっている。
一昨日の買い出しの成果を踏まえ、昨日は牛スネ肉を野菜と一緒にをワインで煮たのと、人参の葉っぱ他のかき揚げ。使わないのでめんつゆは持っていないのだが、天ぷらのつゆとしてポン酢を使うのは案外違和感がないと気付く。酸味は油に中和されてほとんど目立たず、変に甘ったるくない分むしろ良いという人もいるかもしれない。食べた後どうせならとガス台ごとどかして掃除したのでやり切った感がある。
10:00 現在、コーヒーは二杯目。ケニアのウォッシュト。
昨日のProcessing ではプログラムの構造化について少し読んだ。初期化関数 void setup() とメインループ void draw() 。この二つを軸として、そこから必要に応じて外部の各種の関数に引数 argument を吹っかけたり、戻り値 return value を受け取ったりすることで一つのプログラムとして機能する。やたらに入り組みがちなプログラムをこうして機能ごとにモジュール化することで、その設計や点検が容易になり、また、殊、専らヴィジュアル・イメージ等を扱うことに特化したProcessing の場合、構造化に伴う反復構造は、アニメーション表現の実現において必要不可欠なものである(らしい。正直まだあまり納得がいっていない)。
今読んでいる入門書(田中孝太郎・前川峻志『Built with Processing デザイン/アートのためのプログラム入門』)は構造化以前のプログラムをワンルームの部屋に、構造化されたプログラムを一戸建ての家に喩えていた。初期化関数とメインループをそれぞれ玄関と居間とし、それを中心にしていくつもの部屋=関数が組織されているのだという。
構造化には、個々の部屋が互いに対して閉じていることが重要だ。一つの部屋で起こった修正が、いちいち他の部屋にまで波及してしまったのでは無駄手間だからだ。受け取った要求には適当な応答を速やかに返し、お互いの内情の機微には立ち入らない。それが円滑に仕事をこなす秘訣である。
アニメーションとは言うが、それは時間が生まれる、ということではなく、むしろその征服なのだろう。たぶん、極限まで構造化されたプログラムがあったとして、そこには時間も空間も存在しない。時間や空間とは私たちの迷いの相関項であり、私たちが迷うのは、無数の部屋が一つの順路によって結ばれたお屋敷などではなくて、むしろ無駄に大きな一つの部屋、そこに散らばるいくつもの事物の余白においてだ。
私は歩き回れる。全くただこの一点において、私は自らを私である、と宣言する。引き籠っている事物から疎外されている限りで、私は他ならぬ、いやむしろ他としての私である。
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