2020年10月25日日曜日

20201025 残り味、分布、浸し

10:00 現在、コーヒーは一杯、ケニアのウォッシュト。少し風味が落ち着いてきた。一瞬ハーブ入りのソーセージのような香りを聴いた気がする。

寝過ごした。起きたら陽が久々にさっくりと差しており、ここぞとシーツを洗って干した。なんの夢を見たのだったか、何か薄汚れた雨合羽、ハリと折れ、を、リノリウム張りの廊下で被った気がする。体育館のステージの、遠く天井から真下に垂れ下がる重い幕が音をよく吸収する暗がり、丈夫で表面のつるっとした工作紙(なんと呼ぶのだったか、図工の時間、前の席から順々に回されてくる、溶着ポリ袋に封じられた紙束のしっとりとした重みが、私には光だった)のような色彩の質感が踊る、鈍く眩い照明機材、対照に呑気にのっぺりだだっ広い板張りの床面。近頃小中学校時代の記憶の断片が入り混じって起床前数十分の脳裏を駆け擦り去っていくことがよくある。

上履きの足音に笑われて起きるその8時間前のこととてまた同じこの畳の上のこと、昨日はいくつか面白い記事を見つけてサーフィンだった。


一つ目、「ECXとは何だったのか?日本の功罪」

https://coffeefanatics.jp/ethiopian-commodity-exchange/

2008に設立されたECX(The Ethiopia Commodity Exchange)の采配のもと、エチオピア全域のコーヒーチェリーの大部分は国内9つの集積所に集約され、それぞれの中でグレード付け、ロット形成されて流通するようになった。コーヒーチェリーの流通の透明化と効率化のための施策とのことだが、他方これは地域ごとの特色を重んじる農園や業者にとっては冬の時代の訪れだったと言う。

著者によれば、その背景には、同国のコーヒーの最大の売り手であった日本が2006年に設定した輸入品の残留農薬規制によるコーヒー輸出の不振があり、先のECXの施策の主な目的はむしろ流通の効率化による外貨獲得に向けられていたという話。

たまたま今朝のこと、検出されたオクラトキシンを理由にケニア産のコーヒー豆が日韓で受け入れ拒否されたとの記事が流れてきた。あるいは先の記事もこれを念頭に書かれたものだったのかもしれない。

「Kenyan coffee risks losing global appeal on chemicals」(2020 10/6付けの記事)

https://www.businessdailyafrica.com/bd/markets/commodities/kenyan-coffee-risks-losing-global-appeal-on-chemicals-2458028


二つ目、「色:ヘキサコードから眼球まで」(全3回) 

https://postd.cc/color/

簡単に三原色なんて言うけれども、人間の網膜に並ぶ三種類の錐体細胞をそれぞれ励起させる周波数の分布と、RGBやらXYZやらの色空間を構成する各軸と、ディスプレイに敷き詰められた三つ一組のサブピクセルに設定された分光分布は、それぞれまるで異なるものであり、それらは決して互いにシームレスに変換されるものでもない。そんな込み入った話題を逐一説明しつつ、最後にそこに「ヘキサコードから眼球まで」という一本のストーリーを通して、スピード感をもってまとめられており、気持ちよい解説。


あとはエドガー・ダイクストラ Edsgar W. Dijkstra の名を知った。最短経路問題の有名な解法、ダイクストラ法の考案者。また、プログラミングにおけるgoto文除去運動の発端を作った人。構造化プログラミングの父。空想上の企業、Mathematics Inc. 会長。それはそれとしても、Dijkstra、堤防のそばに住む者。良い名だ。英語における「dike(堤防)」に相当する語はオランダ語で「dijk」と綴られる。そもそもこの語自体、ノルドの血、フリースラントの低地特有の泥臭さを強く匂わせる語だ。


私は言語能力が著しく低く、訓練のためもあってこの日記もこうして書かれているわけであるが、まあおそらく一歩先、一歩前との関係の中で書くことができないのだと思う。すでにまとまりをもって完成してある文章を要約するのもかなり時間がかかる。

明日の日記は「昨日は日記を書いた」になりそうだ。体調はあまり良くない。腹と脳天とが細長くて濁った綿飴で貫かれているような気分。


冷たい煮干しと高野豆腐を食んだ。冷たい食パンを噛んだ。ベジマイトを舐めた。そうした履歴。




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