2018年10月13日土曜日

沼にハマりたくない私のための アナログレコードの廻し方 前編:発想

目の前にある一枚から

9月の半ば、なにやら見慣れぬ妙に平べったい段ボール箱が届いた。『リズと青い鳥』サウンドトラック 牛尾憲輔プロデュースアナログ盤。以前ダメもとで応募していた半券キャンペーンに見事当選していたのだ。

ところで我が家にはアナログレコードの再生環境というものが欠片もない。そもそも音楽をそれほど積極的に聴くガラでもないので音楽の再生環境一般について最小限のものだ。
それゆえ今更大掛かりなオーディオ機材一式の装備などはもとより御免蒙りたい。望むらくはシンプルに、目の前にあるこの一枚を聴くこと。私のアナログレコード廻しの試みはここに始まる。

沼にはまらないために

ともあれまずはターンテーブルを探せばよいのだろうという当初の素朴ながらも初心者として健全な発想は、しかし後述の理由で必ずしも適切ではないとやがて知るところとなる。

いや、それでもいいのだとは思う。情報を拾い集めながらピースを集めていき完成したあとは試行錯誤しつつ各部を少しずつアップデートしていく、という営みは、それはそれでオーディオの大きな醍醐味なのだろう。

しかしそれはあくまでもオーディオそのものを趣味にしようという者の話だ。これから沼地に身を沈めようという兵どもの武者震い混じりの口上だ。翻って私のような人間にとってそのような手順はあまりにリスクが高すぎる。悪手すぎる。

ではどうすればよいのか。深入りしないためにこそ、短期的成果に重きを置くためにこそ、大局の大づかみが必要だ。目指すべき入口と出口を見定めた上で、それを最短経路でつなぐための見通しが必要なのだ。   


線分と分節

要は何を実現できれば成功と言えるのか。
アナログ盤に記録された音を、聴く者の耳まで届ければよい。
盤上の溝を電気信号に変換し、スピーカーに届ければよい。
すなわち、入力の極にはターンテーブル、出力の極にはスピーカーという両極を設定し、それらを「レコード針」「フォノイコライザー(変換)」「アンプ(増幅)」「有線ないしは無線回路」といった必須中継点を介しつつ一本の線分で結べばよいわけだ。


さてややこしいのはこれら各中継点が必ずしもそれぞれに一つの機材と対応するわけではないという点だ。というのもしばしば一つの機材が複数の中継点を併せ受け持っており、それは便利なことではあるのだが、反面機能の分担の様子が見えにくくなるという面があるのもまた事実である。

たとえば盤上に変換されて記録されている音を元の形に復元する回路である「フォノイコライザー(フォノイコ)」だ。アナログ全盛期にはアンプに内蔵されているのが一般的だったのだが、アナログ盤の衰退に伴い近年ではフォノイコ内蔵アンプ自体が減少し、代わりに単体のフォノイコを噛ませるなり、フォノイコ内蔵のターンテーブルを使用するなりしなければならなかったりする。
仮にハードオフで在りし日の高級ターンテーブルを格安で手に入れたとしても、フォノイコ以下の機材を別に揃えた結果かえって高くつくという結果もあるいはありうるわけだ。

このような事情から、機材を単体で選択することは必ずしも適切ではなく、常に他の機材やその他の条件とから成る文脈の中で選択することでこそ、無駄のない結果が得られるのだ。オーディオとは文節の問題なのだ。


(次回「後編:実践」に続く)