2020年12月31日木曜日
20201231
2020年12月30日水曜日
20201230
2020年12月29日火曜日
20201229 口なし
2020年12月28日月曜日
20201228 ザクロ、不明、年の瀬
2020年12月27日日曜日
20201227
2020年12月26日土曜日
20201226 微睡み
2020年12月25日金曜日
20201225 澱粉
2020年12月24日木曜日
20201224 ゴミ
2020年12月23日水曜日
20201223
2020年12月22日火曜日
20201222
2020年12月21日月曜日
20201221 毛長川
2020年12月20日日曜日
20201220
10:00 現在、コーヒーはすでに一杯。ミャンマーのブラック・ハニー。中深煎りらしいコクと香ばしさの第一印象が、しかし湯と分離して粉状に舌にざらついたり纏わりついたりするようなことはなく、すっと甘く纏まる。
もはや文字ってなんだっけ、という状態だ。文字とは、着膨れを許さない形象の一群だ。それは常に何かしらの芯をその奥底に持っており、その芯へと描線は絶えず収斂していく。この運動の残像こそが文字の姿だ。私たちはそれを例えば漢字ドリルのあの大きな薄文字のうえで、嫌となるほど確認したはずだ。
発生した瞬間に文字はすでに多であろう。消える間際まで文字は頑なに多であろう。終に消滅の瞬間のその一点において、文字は一斉に点と化す。
2020年12月19日土曜日
20201219
2020年12月18日金曜日
20201218
2020年12月17日木曜日
20201217
2020年12月16日水曜日
20201216
9:30 現在、コーヒーはすでに二杯。
冷たい朝だ。窓を締めていても指と手足頭の首と気管が鈍麻する。iPad の充電がこんどは10%から先上がらない。冷たい鉄板のようだ。ひとまず最近放置していたchrome book を引っ張り出したので誤字が多い。
昨夜布団の中でアームウォーマーを検索したら軍放出品の類いが出てきた。フランス軍のダーツもなにもないミニマルな作業用革グローブとか、イタリア軍の三又トリガーフィンガーのミットとか。結構安く売られているので気になる。以前メルカリかどこかで、マルジェラの三本指の革手袋を見たことがある。当時は足袋ブーツの延長かと思っていたが、背後にこうした文脈があったのか。
甘酒甘茶ちゃちゃちゃと朝
2020年12月15日火曜日
20201215 良い夜を持っている
2020年12月14日月曜日
20201214
2020年12月13日日曜日
20201213土手
2020年12月12日土曜日
20201212
9:00 現在、コーヒーは一杯。コロンビアのウォッシュト。
ここしばらくまた眠りにつくのが下手になってしまった。布団を打って跳ね返る鼓動が煩い。何もなかったかのように眠りに落ちたい。
昨夜は小林真樹『食べ歩くインド 南・西編』を少し読み進めた。
階下がおぞましい。
2020年12月11日金曜日
20201211 肉、毛髪、芸術
2020年12月10日木曜日
20201210
2020年12月9日水曜日
20201209
2020年12月8日火曜日
20201208
2020年12月7日月曜日
20201207 オリオン、ササミ
2020年12月6日日曜日
20201206 埃
2020年12月5日土曜日
20201205 洪水、修復、懸隔
"Florence: Days of Destruction" (University of Maryland Digital Collections)
イタリア文化の中心であるほどに、それは潜在的にその喪失、忘却、そして復古、修復の中心でもある。記事中には現地で指揮を取ったウンベルト・バルディーニやウーゴ・プロカッチ、近代修復学の祖チェーザレ・ブランディといった名があらわれる。そういえばブランディの所属する国立修復研究所は、遡ればファシズム政権下の文化政策の中心を担ったジュゼッペ・ボッタイが設立を指揮したものだった。
ボッタイの名を知ったのは鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』(水声社、2011)でのことで、党首ムッソリーニの、ともすれば「キッチュ」になりかねない古典主義への偏執に苦言を呈するボッタイの姿勢が印象的だった。「復元よりも保護」を。始源と現代との間に横たわる隔たりを、明っけらかんと無みしようとする「キッチュ」を断固として拒絶し、むしろその懸隔、裂け目をこそ、いわば作品への遡行可能性の架橋として死守すること。
寒い。油が冷えて固まるように鈍い身体の循環だ。昨日届いたヘッドフォンを試した。Sony のWH-1000X M3 、ノイズ・キャンセリング機能が付いている。音楽なしでこの機能だけを有効にしてみているが、なかなか良いかもしれない。聞こえないというよりはむしろ無用に気をもっていかれることがなくなる、という感覚だ。距離が確保できる分、むしろよくそれを聞くことにすらなるかもしれない。テフロン加工の感覚器。
寒い。階下から響く物音への恐怖の中でこれを書いている。キーボードのバネの金切り声。ヘッドフォンをしてより低い打撃音に気付くようになる。硬直した指が押し返される。吸気が鼻腔をざらざらと擦り上げる音が響く。Da, Da. Halt.
2020年12月4日金曜日
20201204 夜
2020年12月3日木曜日
20201203 投函可能
2020年12月2日水曜日
20201202 垂水
13:15 現在、コーヒーはすでに二杯、甘酒も飲んだ。
大きく寝過ごした。これを書き出すのはもっと遅れた。曇り空がしっとり冷気を湛えて、年末を感じさせる空気だ。今日は注文した品が多分まとめて届く予定だ。Amazonが「置き配」をデフォルトに設定してからだいぶ経つけれど、タイミングの読み合いが不要になって大変喜ばしい。それに物言わず玄関先に置かれた箱というのは枕元のクリスマス・プレゼントのようで夢がある。
ゴミのような昨日よ。強いて言えばすこし動く練習をしたか。あとは日曜の夜に行ったばかりだったが、また買い出しに出た。日曜の子望の月が、見逃した満月の月曜を挟んで昨夜はまた僅かに欠けて十六夜の月となり、東の方にけらけらと光っている。すでに重いコートを引き出して、前は首元まで閉じてただしマフラーは巻かずにマスクから靴までが月の下に黒い。ひしゃげた洋梨、5個一袋で投げ売りのグレープフルーツ。くるみとレーズンのパン。
マスクを外すと住宅街に下水の匂いが薄く漂っている。夜の冷えた空気に標本のように封じられて変に他人事な顔をしておりなんだか可笑しい。世間の誰もが気付かぬうちにいつの間にやら世界の匂いは全く変わっているかもしれぬと思う。花弁が変に赤紫だ。
荷物はまだ届かないけれどこうしたサスペンションが生だと思う。キリキリ張り詰めるばかりがテンションではない。綱それ自体が自重に苦しみ弓なりにしなる。綱渡りの男が落ちる。アレシボ天文台のパラボラ崩壊の報を聞く。京都のアーチ。不織布の垂れ幕。ソクラテスとブランショ。
畳の面を冷たい空気がずるずる這い流れている。12月も2日目の昼過ぎである。