2018年6月2日土曜日

ブログのタイトルどう頑張ってもダサくなる

藪から棒になんですが、ブログのタイトルって総じてダサいと思うわけです。

「そのダサさが堪らない」みたいな評価に対しては部分的賛同にやぶさかではありませんが、それはともかくブログにはどうもブログに特有の命名事情というものがあるようで、まずはとりあえず命名の傾向を幾つか分類してみます。



・名入れ
 定番中の定番でしょうか。管理人が名の知られた人である場合は公式感を強調することにもなります。他の命名法と組み合わされることも多いでしょう。
例:「〜のブログ」「〜's blog」


・空間的比喩
 やはり定番です。個々の記事を格納するイメージですね。
例:「〜の部屋」「〜's room」「〜待避所」「〜置き場」


・記録、おしゃべり
 やはり定番。
例:「〜日記」「〜備忘録」「〜報告書」「〜のここだけの話」


・主題
 書く内容にある程度の統一性がある場合のみ、という制約はあるものの(脱線はよくあることとはいえ)、その主題に興味を抱く読者に他の記事も閲覧してみよう、という安心感を与えうる点では優れているといえます。
例:「ねこログ」「ナナハン日記」


・座右の銘
 ややもすると説教臭くなりがちですが。
例:「人生一期一会」「七転び八起記」


・部分を以て全体に換える
 ある意味前ふたつの中間といえるかもしれません。自分の言いたいことをよく要約してくれるような言葉を掲げる手法。
例:「hors d'œuvre(註:現時点での本ブログタイトル。「作品-外」程度の意)」



こうしてみると出版物というよりはむしろ建物の命名にちかいものを感じますね(「〜荘」「〜庵」「〜ハイツ」とか)。座右の銘なんてとりあえず茶の間に掛けてみた掛け軸って感じです。

文章ベースという点からブログの類似物をついつい出版物などに求めてしまいがちです。しかし個々の記事を待たず、開設時点で命名されてしまうことが多いブログの場合、タイトルはどうしても内容とのつながりが弱く、単に将来書かれるであろう雑多な記事の「容れ物」というふわふわとしたかたちをとらざるを得ない、ここにブログタイトルの宿命的なからっぽさの源があるように思います。

Twitter をはじめとするアカウント名ベースのサービスが主流の現代にあって、「訪問」する、みたいな文化がなお残っているとしたらどこなのでしょうか。「どうぶつの森」?