2021年2月6日土曜日

20210206 cadenza

10:45 現在、コーヒーはすでに一杯。

相変わらずの週末の階下の轟音だ。床下から突き上げてくるような衝撃が続く。

なぜ日記を書くのか。現在を半歩嵩張らせるためだ。音波や電磁波が適当な時間間隔のなかで初めて音や光としてあり得るように。地に突き刺さるピンの先端においてはもはや地形がありえないように。最近また少しずつ音楽に興味を持ったり、外国語を少しずつ学習したりするようになって、あらためてそうしたミニマルな嵩張りを意識するようになった。

地を掘削すれば同じだけの土が傍らに積み上がって山を成し、地図を東西に貫く中央線の敷地はそれを俯瞰するために確保すべき距離の塩梅を迷わせてやまない。生とは本質的に嵩張りだ。その極限には常に動かしようのない「分からなさ」が立ち塞がっている。

そうした分からなさを前にして、私たちはいつだって恐怖する。あるいはその異質なザラつきをアンチ・エイリアスして最我有化しようとする。あるいは銘々適当なラベルを貼り付けて区画整理していく。

なんとか結〆めを付けなくてはならない。「ある程度」のところへと有限化しなくてはならない。今朝の気紛れの思いつき。今日を以ってこの日記の並びを休止すること。

2021年2月5日金曜日

20210205

13:45 現在、コーヒーはすでに一杯。

大変に遅く起きた。

あらゆる選択が裏目に出ている気がする。選択というか、選択しないことを選択と呼ぶならば、ということなのかもしれないが。自ら選択するのが億劫であるばかりに、選択の余地が向こうの側から潰えてくれるのを待つのが癖になってしまっている、これは明らかによくない。

昨日は牛テールを一度茹でこぼして、洗って、葱、生姜、ニンニクとともに圧力鍋でしつこく煮込んだ。コリコムタン。骨髄が溶け出して、骨同士が接合を解かれて漂い出す頃から途端に味がどっしりする。しかし脂だこれは。

路上の人に罪はないとはいえ、それでも路上の人の声がずっと聞こえてくるのはなかなかにストレスだ。

2021年2月4日木曜日

20210204

9:50 現在、コーヒーはすでに一杯。

きのうはなんだか訳がわからなくて、ところでまた買い出しに出た。納豆、もやし、パン、割れた人参の詰まった袋、半額だったオーストラリア産牛テール。

夜も遅くなった頃、耳たぶから首筋にかけて嫌な寒気が走るようだった。ライナーの毛のむくむくのモッズコートのフードを頭に引っ掛けた。

また工事。牛テールは扱ったことがなく勝手がまるでわからない。今回は洋式よりも気軽に思われる韓国式のスープにしてみようと、ひとまず血抜きに肉を冷水に沈めておいた。꼬리 곰탕 (コリ・コムタン/尻尾の・煮込んだスープ(湯))と言うものらしい。

2021年2月3日水曜日

20210203

14:00 現在、コーヒーはすでに二杯だか三杯だか。

遅く起きた。
エノキとキャベツが今朝は美味しい。

前々からコーヒーの豆の外観をちゃんと観察してあわよくば品種等をなんとなく見て取れるようになれたら良いなと思っており、昨晩は試しに手持ちの2種を、管理法は迷った末にラップに折り込んで付属のタグにホチキス留めしてみた。嵩張りそうではある。

冷蔵庫で眠っていたカブを冷凍庫で死蔵されていた豚バラと一緒にカレーにした。スパイスはターメリックとパプリカに、あとは仕上がりにカスリメティと僅かばかりのガラムマサラを加えただけだ。邪道ではあるけれど、薄い豚肉というだけで大衆食堂の安心感が出る。

ほとんどの場合、東京は音が煩瑣いのだと、そう気付き出したのは意外にも、実家からこちらに移動してきた直後よりはむしろ、そんな事情なんてすっかり頭から抜けてきた頃のことだ。熱い風呂に足の爪先を浸す瞬間は、怪我したとしても精々が軽い火傷ですむ。危ないのはむしろようやく身体が馴染んできた頃で、ふと気がつくと意識が即物的に消えていたりする。プラスチックな脳の感触だ。
運送会社の車両の千鳥足、路上に遊ぶ子らの運動靴のケミカルなカーヴ、それを横目に被せるように歓談する大人たちの奇声のつんざき、鉄階段に響く足音、湿気を吐き出す木軸の身じろぎ、ゴムがアスファルトを削る音、車体のドラミング、回転ノコギリの歯とそれを冷やす水飛沫、電線の風切り音、コンビニで買って帰りながら食べる菓子パンのビニル袋、嚥下と咀嚼音、唸り声、思春期を迎えた男子の咽頭のしゃがれ、年寄りの大声、互いが互いを飲み込み撥ね付けて、あるいはそこにあるいはここに、放ila じゃないんだよ君シェフを呼ぼうにも多頭だほうら、

2021年2月2日火曜日

20210202

12:30 現在、コーヒーはすでに二杯。

雨の音で目が覚めたのが朝7時前のことだったのだが今窓の外はアッケラカンと快晴だ。何もわからないままに正午を廻ってしまった。

特別散らかっているとか埃っぽいというわけでもないはずなのだが、部屋の中がどうにもくさくさして落ち着かない。無人のはずの階下がしきりにガタゴト音を上げて、家鳴りなのか侵入者なのか判然としない。

新しい言語を学ぶとは何よりもまず新しいリズムを学ぶことなのだろうと思う。一音一音に都度、なんだこれはと唸っているうちにも向こうではすでに別の小節が展開している。波間波間にあっぷあっぷと辛うじて息を継ぎ継ぎ、訳のわからぬままにひとまず浅瀬を踏んだ、そうかと思えばまた砕けてまた犬掻きだ。

訳もわからぬままに人はものに囲まれて生きている。それであるのに最後に差し出される箱はといえば、細長い棺桶一つきりだ。死ぬこの身はどうでもいい。しかしその他の諸々は一体全体どうすれば良いのか。何年も前からそんなことばかり考えて恐怖している。

2021年2月1日月曜日

20210201

11:15 現在、コーヒーはすでに一杯。

昨日はなんだかだらだら食べた。

買い出し。低い月のぬるりと黄色い。

2021年1月31日日曜日

20210131

10:50 現在、コーヒーはすでに一杯。ミャンマーのナチュラル。なんだか(良い悪いとかではなんく)灯油ストーブを点火して少しして、火が落ち着いた頃のような匂いがする。

中国語の配信の字幕をルーズリーフに書き写し、Google 翻訳と中日辞典で発音と意味を調べた上で改めて音声とすり合わせていく作業をした。必ず一字一音節である中国語は(ピンインさえ与えられていればだが)紙の辞書を引くのが他とは桁違いに楽であると言うのは中国語をはじめるまで気が付かなかった。最初は途方もないなあと思っていたが、少しずつノリが見えてきたようにも思う。

バスマティ米の食べかけが残っていたので鯛の頭を解凍してカレーにした。コンロが片方手持ち無沙汰だったので大根をクミンと鰹節で炒めた。

日曜のわりに車の往来が激しいような気がする。ゴムがアスファルトを擦る音が乾いた空気の上でたなびいている。