10:00 現在、コーヒーはすでに二杯目。ケニアとグアテマラのウォッシュト、いずれも少し残った豆の混合。
前者は以前4種詰め合わせを注文した際にサンプルをおまけして頂いたもので、昨日開封したもの。「華やかな酸」という形容からなんとなくシトラス系を想像していたのを裏切って、口に含んでまず浮かんだのがブドウを思わせる酸で、ただし赤ワインのような芳醇さに向かうのではなく、ブドウジュースとか、時々むしろレーズンとかを、とびきり上品に、しかしやんちゃに、香らせたような印象だろうか。それでも何かとり逃すところが大きい、商品紹介には「パイナップル、ルバーブ」とあり、ルバーブは食べたことがないのだけれど、その形容はこのあたりに掛かっているのかも知れない。
今朝はそれを桃を嗅ぐようなグアテマラとあわせたので、ブドウの酸味がクロマトグラフにかけたみたいな解かれ方をしてちょっと面白かった。
そうこうするうち、先日ブルーボトルで注文した豆が届いた、やはりケニアの、Kiambu Karinga のウォッシュト。それにしても久々の対面受け取りの気がする。サインまでした。この時勢でたしかに食材以外で実店舗を利用する機会はほぼなくなったとはいえ、置き配やサインの省略もかなり一般化したし、そもそも買い物自体を最小限にしていた。経済的な動機もあるし、これ以上の物流の負担に加担したくもなし。コーヒー豆の購入も極力ゆうパケット配送のものにしていたので、豆の詰まったマチ付き袋一つに、余った空間を緩衝材で埋めて届くブルーボトルの小箱を見て、少し笑ってしまう。ブランドイメージとか梱包資材の統一による効率化とか色々あるのだろうけれど、もう少しなんとかならないものか。
11:45 現在、コーヒーは三杯目。結局我慢できずにブルーボトルのケニアを開封。ああ、いかにもブルーボトルって感じだ、黒いベリーの、華やかかつしっかりとした酸味と収斂感が舌の両サイドをグッと流れて、そしてその間に、小さなペディメントみたいに、微かにシナモンというか八つ橋に練り込まれて香るニッキを思わせる香り、ロースト感。
昨日はまたProcessing を少し触る。for 文とか、random とか。色指定でRGBの各色ともに完全にrandom にしてしまうと全く灰色の世界が広がってしまうことに気付く。それぞれ個別に範囲指定するとかして偏りを与えてやらなければならない。加色混法ゆえの罠である。
「すべての電球が点きっぱなしの電光掲示板」。この喩えを円城塔はどうも気に入っていたようで、私の知る限り二度、それぞれ別の著作中でこれを用いている。情報技術とは常に地と図との間の絡み合いをいかに効果的に組織するかの試行錯誤であり、死の予感を背負っている。
ややもすればホワイトアウトへと至りかねないチキンレースの途上で、私たちは色彩の乱舞に色めく。踊り狂えよ、しかし節度を持って。
無を一つのキャンバスに、それを背にして有をチラつかせれば情報の電達が可能になるとして、課題となるのはその無の広がりそれ自体をいかにあらかじめ定義し、提示しておくかである。無を以って無を送ることはできないのであり、ブルーバックの前でブルーバックの実演販売をしようとするのは困難である。仕方がないので無は適当な太さの輪郭線で縁取られ、そこは無と有が厄介に入れ子状をなした紛争地帯として放置されることになる。
両者をネガポジ反転してみたところで話は同じなのであって、無の中に空いた穴としての有の輪郭を拡大してみるとアンチ・エイリアスやらモスキート・ノイズやらでぶよぶよと気色悪い。
ミニマリズム彫刻の(そのほとんど戯画化された限りでの)展示風景が、最大限の嘲笑を以って提示しているのがまさにこのような状況である。すなわちホワイト・キューブ状の部屋の中心に放置された、ひとまわり小さいもう一つのキューブ。ここでかたや「部屋の外部」と、かたや「空虚な立方体」という、二つの無に挟まれた、て、実にどっちつかずに虚しい「室内」という座を、なすすべなく右往左往するばかりの観客という存在の馬鹿馬鹿しさよ。
さきのブルーボトルのケニアはとうに冷め切っている。舐めると、何故か唐突に、Shake Shack だろうか、ハンバーガー店の記憶が閃いた。ベリー。肉汁。ベリー。いかにもアメリカ都市民らしいパンチ・ラインではあるまいか。
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