8:00現在、コーヒーは一杯。イオンのグアテマラの残り少しとUCCのブレンドの混合。赤ワインの風味と苦味が媒介なしに同じテーブルに投げだされたような感じになってしまう。
ここのところさしたる意味もなしに夜更かししがちだったが、昨晩は体調が優れず早めに就寝。前にも見たことのある嫌な夢を見た。
家族(知らない家族。)と一緒に下りエレベーターに乗っている。途中の階で停まる。外には誰もいないと見たせっかちな父親は、私の背後から手を伸ばして半ば開いた扉を閉じようとするが、それを制してこじ開けようとする乗客。それはなんだかそういう高級スイカみたいに頭部がぬるっと四角い男で、半歩こちらに歩を進めたその男を父親は押し返そうとする。それでも押し入る男を見て、今度はこちら一同が入れ替わりに一時下車しようとするも、男はその中の誰だったかを羽交い締めにして逃さない。通りすがりの誰かもう1人も応戦していた気がする。抵抗も虚しくエレベーターの扉は一度閉まるも、また開き、引き摺り出す。3人分の手足が絡まり合ってどれが誰のどの部位だかが判然としない。その中の誰かが私に「証拠にするため」と、男(どの?)の肌に名前か何かをマジックペンで書き込むように、と頼む。私の応答はといえば「ペンがないから、カッターナイフでいい?」ときた。いいらしい。肌に玉のような血がぽろぽろと滲んで汚らしい。
夢を見る私はなぜこうも詰まることなくころころとイメージを転がせるのか。起きている私はといえばおよそイメージというもの一般に乏しい人間で、南仏の鮮烈な色彩の印象だとか、いつの日かのマドレーヌの香りだとか、まるでピンとこない。小説の筋書きの展開に従ってめくるめく情景が幻燈のようによぎることもないし、家族の顔だってほとんど覚えていない。
9:30現在、コーヒーは二杯目。グアテマラのウォッシュト。微細な和毛に表面を覆われているかのような滑らかさだ。
イメージ。端の無いもの、果てし無いもの。あまりに私の手に余るもの。指でその縁を撫でて、頁を繰ることのできないもの。とてもながいもの。
2019年の春先に青春18きっぷ一枚をかざして行った岐阜の記憶もいよいよあやふやになり(長良川は一体どちら側に向かって流れていたのだったか)、昨日地図帳を開いた。金華山の傍らを流れた長良川は、蛇行しながら南西にしばらく流れる。その舵取りを横目に牽制するように、東海道本線は岐阜市街を抜けたところから若干南西南へと逸れつつ直進する。西岐阜駅と穂積駅との間で、長良川は不意に南南東へと首を傾げ、東海道本線と直交する。
なんということだ。想像が及ばない。しかしその交叉を私はこの目で見たはずではないか、岐阜駅から大垣駅へと向かう列車の窓から。列車にさらにしばらく揺られると、今度は揖斐川の流れと交わる。映画『聲の形』の印象的な一場面を成す鉄橋はこの少し下流に位置するはずだ。その右岸には黒川紀章の設計による大垣フォーラムホテルの背中がポツンと見える。長良川と揖斐川は、そこからさらに30kmも並走したあたりだろうか、ついにはただひとすじの堤を境に隣り合い、そのまましばらく流れた末に最河口でようやく合流し、木曽川と並んで伊勢湾に注ぐ。
なんということだ、およそ想像の及ばないことだ。
木曽川、長良川、揖斐川の三河川が並び流れる現在の濃尾平野の風景はしかし、二度にわたる大規模な治水事業の産物であった。かつて互いに複雑に入り組み、交わり合い、流域に度重なる水害をもたらしていたこれら三川は、1754年の宝暦治水、そして1887年から92年にかけての明治治水による分流工事を経て、互いにほぼ完全に分離されることになる、
そういえばこの地の度重なる水難の痕跡もまた、2019年の訪問で私自身その一端を目にしていた。宿をチェックアウトした直後、成り行きで迷い込んだ金華山をなんとか抜けてたどり着いた長良川の、土手沿いに鎮座するコンクリートの巨大な球体、安藤忠雄設計の長良川国際会議場はちょうど開催されていた成人式に賑わっていた。その傍に立つ石碑と案内板には、1921年から39年にかけての長良川上流改修工事による長良古川、古々川の締め切り工事の記録が記されていた。
絡み合う筋は 容易に自らを横溢し、流域に構えた住居の床を水に浸してしまう。果てし無い恐怖だ。こんなものを矯めつ眇めつ、分かった体で分肢しつつ。堤一枚を隔てて人はその地に安らいだ体で今日も日を暮らしているのだ。
また話は戻って2019年の長良川沿い。記念碑そばのベンチでいくらか時間を潰したのち、国際会議場並びに店を構えるSHERPA COFFEEを訪ねる。ファンヒーターの唸りに揺れる観葉植物、コーヒーと一緒に注文したロールケーキは、まだ東寄りに傾いだ太陽が寄越す光線を、一瞬含んで、溜めて、矯めて、こちらに投げ返すように、なんとなく薄らと黄色だった。
その日それから私は、あちらこちらとつきあたりつつ岐阜駅へと辿り着き、東海道本線に養老鉄道を乗り継いで、養老天命反転地を目指すだろう。明からさまにハリボテの、端っ切れの、しかし内側へと絶えず落ち込んでは、球成す全体を絶えず果て無く覆す、半球あるいは覆水不返の盆。
"The saddest thing is that I have had to use words..."
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