2020年10月30日金曜日

20201030

10:30 現在、コーヒーはすでに一杯。昨日届いたエチオピアのナチュラル。口に含むとクリーンなのに一癖ひねりの効いた印象。ええと、ベリー、とまでとりあえず無難に答えてそのあとはハテナばかりが浮かぶ、少しセクシーな夜闇?、苦味なのか酸味なのかも判然としない。これがナチュラルのフレーバーだっただろうか。付属のノートには「ラフランス、ベリー、ライム、ラベンダー」とある。ああ、記憶もおぼろげだがもしかしたら成る程それはラベンダーの、微粉で目止めしたような、ほのかにしっとりとした花弁の表面から発せられる、仄かだが密度は高い息の詰まるような薄々紫(そこにライムを一絞り)、そんなものなのか。

私は五感を受け取るのを拒否する方向に育ってきてしまった人間で、肌は傷や乾燥や火傷を押し殺して縮み固まり、鼓膜は重く、網膜は鈍く、イマージュは半干し大根みたいに脳裡に干されては排出される。

そんな人間が酒とかコーヒーとかスパイスとか、あるいは絵画とか音楽とか、なんでもいい、官能的な評価軸を扱うことを避けえない方面に興味を抱くとどうなるかといって、割と地獄であることはもう嫌というほど思い知らされているわけなのだけれど、なんなんなんなんだろうね人間ってやつは。

コーヒーとかワイン用のテイスティングトレーニング用のアロマセットなんてものがあるんだけれども、50種入って5万円とかの世界なのですよね。それはそれとしてJo Malone とZara のコラボ香水4ml 8種入り3000円というのは少し気になる。


昨日は買い出しに出た、十三夜の月で、漠然と夜闇を鈍らせる叢雲の垣間垣間からそれでも煌々と眩しく思う。

月が見えるとはどう言うことなのかと思う。闇のしめやかな広がりを鈍らせる、太陽はそのシミであり、またそれは私たちの視覚の全き条件だ。他方大地は、私たちの存在の地平であると同時に、太陽を自らの背へと隠すことで闇のいくらかを取り戻そうとする。夜闇とはすでに毀損された闇の残骸で、それはいくらか肌にねばつく。水底に沈んだ澱のように、凪には静かに私たちの視界に帳を下ろすが、それもじきに敢えなく掻き乱されて、また朝がくる。月もまた夜闇へと差し込む闖入者には違いないが、しかしそれは(まるで初めにあった闇のような光ではないか


ウユニ塩湖はあまりに平らで、100km 四方に50cm ほどの高低差しかないという。それは空を映し、その下に眠る地はいよいよ夜だろう、貼り合わせは多分白く締まって、熱く、






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