今日の朝が寒いのは窓が開けっぴらいているからで、今朝洗濯した布団カバーがその窓の内外を跨ぐように、端端をちょいちょいと摘まれて干されている。
10:30 現在、コーヒーは3杯目。エチオピア・シダモのウォッシュト。かなりあっさりとした焼きゆえ、口内に液を含んだ状態ではむしろ香りの邪魔になるくらいなので、これは嗅ぎタバコのようなものだと割り切って、はやばやに飲み込んでしまうのが良いのかもしれない。
吊り下げられた布地のドレープを見るとつい、ガウディの逆さづりの設計模型だとか、吊り橋のロープだとかを連想してしまう人間というのがいて、そういえば昨日は色々と橋だとかその跡だとかをいくつも渡った。
「いくつも」というからには、それは川や水路が幾重にも曲がりくねっているか、あるいは無数に並走し、ときに交錯しているか、そうでなければこちらの方が無闇矢鱈に彼方へ此方へと彷徨いていたかのいずれかであるわけだが、今回に関してはその全てが当てはまるだろう。1930年に荒川放水路が完成するまで、荒川直下の最下流部であった隅田川、その流れが南方へと90度向きを転じる辺り一帯には、かつて広大な湿地帯がひろがり、その南端にはぽつりと浅草市街が浮かんでいた。度重なる治水やら干拓やらの試みの末、そこには無数の掘割が走り、新堀川を渡る合羽橋、山谷堀を跨ぐ今戸橋等々、その名残はいまでも地名に残されている。
この今戸橋といえば思い出されるのは永井荷風による初期作『すみだ川』(執筆は1909年という)、幼き長吉が夜な夜なお糸を待ち侘びた木橋の欄干だ。
その後『日和下駄』(1915年)序文の永井は「木造の今戸橋は蚤くも變じて鐡の釣橋となり」と記しているが、山谷堀が1976年から暗渠化されるころ掛かっていた今戸橋は1926年竣工の桁橋であった。それ以前の10年に満たない短いあいだ、先代の鉄橋が掛かっていたということなのだろうか。
『すみだ川』の当時はまだ言問橋も掛かっておらず、向島の小梅(現在のスカイツリーの足下あたり)に住うほろ酔いの蘿月は竹屋の渡しに揺られて対岸の長吉の住まいを訪問する。およそ30年を経た『濹東綺譚』(1937年)の頃にはこの言問橋はすでに完成しているが(1937年)、玉の井通いに電車を使う主人公にはあまり利用の機会がなかったようだ、作中ではこの橋の袂で巡査に誰何を受ける他に言問橋への言及はない(ちなみにここで彼が連れていかれる派出所の位置する江戸通りと場道通りの交差点には、現在でも交番が建っている)。
現在の隅田川にはさらにX字状に桜橋が掛かり、それを向島へと渡った先の堤防から住宅街へと向かう道は落差の激しい下り階段になっている。明らかに隅田川の水面より低い位置に、なんでもないように住宅街が広がり、こころなしかアスファルトは少し湿っぽく感じる。街道を北上した先、民家の間に隠れるようにして秋葉神社の境内があり、この脇を抜けたあたりに『濹東綺譚』の主人公が通ったお雪の住処はある。陽が傾くほどに、薄暗い路地を伝って暗がりと冷気が流れ込んでくるように感じられる。
そして傾斜だ。『すみだ川』の長吉は今戸橋から川沿いに延々南下し花街である葭町(かつての元吉原、現在の人形町のあたり)へと向かう。また浅草裏の宮戸座に通っては観劇にのめり込む。
その宮戸座があった通り、千束通りを昨日、たまたま初めて、南の端か北の端まで歩いた。途中から若干東に折れて進んだ先で日本堤ポンプ場ののっぺりとした壁にぶつかるに及んで、先の折れがおそらく吉原遊廓の傾斜角を反映したものであったことに気付いた。吉原のこの北西向きの傾斜角はその門前にあった日本堤に正対するべく設定されたものであり、そしてこの日本堤の角度はおそらく、それ以前からあった音無川(および山谷堀の原型)の流れを、隅田川を受け流す傾斜面として捉え返したものであろう。この地にはベクトル分解の力学が幾重にも交錯している。そうした斜面に導かれて、長吉はまた浅草裏へと通う。
12:30 現在、コーヒーは4杯目。三徳で買ったタンザニア。開封すると、豆のところどころが濡れたような油の浮き。深煎りのもので豆全体をコーティングしている状態なのはよく見るが、そうならないのは油の粘性かなにかの影響なのか。蒸らしで若干木酢液のにおい。
白髭橋を渡って向島を抜ける。左岸に沿っては白髭団地の白い巨壁が、堤防越水時の文字通りの最後の砦として連なっている。屋上には、おそらく水道タンクであろうか、オレンジ色のチューブが横たわっているのが秋空に鮮やかだ。対岸にはスーパー堤防で地上げされた汐入の高層団地が立ち並ぶ。それを過ぎた先、南千住駅前の商業施設は学生や子連れ家族で思った以上に賑わっている。ここに常磐線、日比谷線、つくばエクスプレスが束ねあげられて、傍らの貨物駅は広大に平たい鉄路のブーケだ。
どこに行くにも道を行かなければならない。極め付けに条理に串刺しのリアリティがここにある。ここもまた廓だ、私を取り囲む世のくるりを屋上から見渡す、ここもまた廓だ。
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