2020年11月21日土曜日

20201121換気、UNIQLO、シクラメン

8:30 現在、コーヒーはすでに1杯。エチオピアのウォッシュト。


一昨日に引き続いて生暖かい昨日であった。しかし風は強い。鈍空にすわ工事は中止かと期待したのも束の間、腰に提げた金具の音が寄せ来て、警備の方の誘導に手刀を切りつつ駅を目指した。途中、視線の先がやけに明るいなと思っていたら、一、二区画分の土地が半年ほど見ないうちに丸々更地になっていた。電車はすぐに滑り込む。ビジネスホテルの清掃中の部屋のろくに開かぬ窓の隙間からカーテンがびらびらと吹き出していた。こちらの目前の自動ドアの窓ガラスは当然嵌め殺しだ。座席側の窓が空いていたかは覚えていない。

池袋駅では見慣れない車両を見た。銀色の躯体に並ぶ正方形に近い大きな窓が、黄色い座席の足元近くまでを露わに見せている。去年春にデビューした西武鉄道「Laview」001系のようだ。SANAAの妹島和世が車両のデザイン監修にあたったという記事を読んだことがあった。当然窓は嵌め殺しだろう。窓はその奥に人の存在を予感させるけれど、それが開け放たれるやその予感は、まるで吹き込んでくる風に吹き払われてしまうかのように、希薄なものになってしまうようだと思う。生とは幾ばくかの澱みだ。窓ガラス越しに差す陽の光が、隙間風に舞う埃を静かに振動させる。


新宿駅新南口改札前の広場はすでに完成間近で、段差を少し上がったところには臍くらいという妙な高さの横長の植栽があり、どうやらその両脇から水平にのびた縁部に買ってきた弁当を置いて青空立食パーティーができる。どんな顔して向き合えば良いのかわからない。


高島屋の上の方の階のUNIQLOは、もともと通路に広く開いていた入り口の大部分を机やマネキンで潰し、残りのいくつかのゲートに動線を絞り切ったうえでそこに非接触体温計と消毒液を配備している。感謝祭期間中の本日はさらにそこに東京ばな奈を配る店員が待ち構える。「+J」シリーズ発売と感謝祭とが重なることで予想されていた混雑はしかし特に見られず(目立たない立地ゆえだろうか)、「+J」も意外と棚に並んでいた。正直期待ほどには刺さらなかったが、他方隣に並んでいた通常ラインのハイブリッドダウンが思いのほか良い作りで感心してしまった。正直最初はこちらが「+J」のやつかと思った(売り切れていた)。結局フリーマガジンだけ貰って店を出る。


去年日本から撤退したFOREVER21の新宿店跡のビルには「ゆるゆり」の巨大なポスターがソーシャル・ディスタンスを呼び掛けている。距離を確保させるには自ら大きくなるのがいちばん手軽だ。トーマス・ルフのポートレートに寄ってたかって至近距離で目を凝らそうとする鑑賞者は比較的少数派だろう( https://nanka-sono.blogspot.com/2016/11/blog-post_11.html )。ダ・ヴィンチもスケッチよりもモナリザよりも最後の晩餐がより適切だろう。キャプションの文字サイズに変化はあっただろうか。


もともと画家として活動をはじめたドナルド・ジャッドの作るオブジェクトにとって、そのスケールは重要な要素だ。あまりに小さければそれは鑑賞者の手の内で道具と化してしまい(ジャッドはいくつかの家具のデザインも手掛け、失敗したり成功したりしている)、さりとてあまりに大きければそれはモニュメントだ(ジャッドは建築家でもある)。例えば天面を鑑賞者の目の高さより少し上に設定することで、オブジェクトはそれを前にした者の手には負えない、しかし目と脚で追うことはできる、空間的・時間的に幾ばくかの暈を纏った、経験の嵩張りの中心として機能する。作品とてホワイト・キューブとて、ある種の統制の空間に他ならないわけだが、ところで窓はそこにいかに組み込むべきだろうか。そもそも接触を厭う空間において、手指消毒の役割とはなんだろうか。展示空間に住むことは可能だろうか。「飾り窓」を換気することは可能だろうか。作品で窓を塞ぐことは可能だろうか。


その夜、スーパーマーケットの花屋で一株のシクラメンを買った。値引き品のひどく草臥れたやつで、花はふたつ斜めに傾いて咲くばかりだが、つぼみはいくらか残っているようだ。実家にあるものよりだいぶ青みの強いマゼンダで、片手に抱えて夜道に出ると鈍くくすんだように闇に紛れる。この色を自社のロゴに掲げる企業はまずないだろう、というような陰気な色だ(唯一思い浮かんだのが昔使っていたHuawei 社のスマートフォンの、起動時のやたらと派手だがフレーム数は少ないアニメーションで、黒い背景に翻えるようにロゴが現れる、その周囲に飛び散る花火の一部がこんな色だった気がする)。無人駐車場の蛍光灯の光を横から受けては花弁の縁だけを浮かび上がらせ、街灯を上から受けては不意にダイオードのように熱のない光をこちらに寄越す。葉の配置は効率的で土の表面は窺えず、不明の黒か土の黒かの見分けがつかない。

私は東京ばな奈をまだ食べたことがない、食べたことがないという味とでもいうものがある。窓の無い部屋の中、不明の味。


変に生暖かった一昨日に代わって秋らしく吹き込む風の秋晴れの日だ。工事は休工の、世間の三連休の初日だ。カウントは盛り上がり為政は大喜利に余念がない。


12:30 現在、コーヒーはすでに二杯。先ほどと同じエチオピアのウォッシュト。すみやかに抽出して青瓜のような印象。エチオピア北部でなおも続く紛争などはどこ吹く風と、イルガチェフェ。

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