2020年11月22日日曜日

20201122

11:00 現在、コーヒーは一杯。エチオピアのウォッシュト。先日久々のVerve Coffee Roasters で買ったもの。 以前買っていたときは気付かなかったけれど、こういう酸味の効いたフレッシュさを押し出した豆ほど淹れ方で印象を淹れ方でその印象を大きくかえる。まだ固い未成熟果の青く締まった酸味、しかしそれはいつのまにやら舌の縁へと流れた先で少し色付いて、わずかに果汁を滲ませては姿を眩ませるようだ。

今朝は寝坊した。昨晩全く何をするでもなしにだらだらと起きていてしまったのだ。

米を炊いて出汁をとる。大根の葉は酒と塩で蒸し煮、鰹節が沈んだところで里芋、人参、大根。白味噌の味噌汁。だしがらの昆布と鰹節に余った野菜も刻んで足して薄く甘辛味に。不意に食べたくなって卵焼きも作る。随分と豪勢な朝食になってしまった。いろいろ誤魔化すようにどかどか足音荒く左見右見、家事身支度等を済ませたらすでに陽も高い。

件のシクラメンは昨日鉢に植え替え、窓辺に置いている。片方の花はやはりだいぶ弱っており、すでに若干萎れている。秋冬の窓越しの低い陽射しがよく似合う花だと思う。


私はこの日記に何を期待しているのだろう。鈍り切った言葉のリハビリではある。私の関心に照らして大事なことも、ちょくちょく書いているとは思う。それをわざわざ公開という形にする意味は、そういえばこのブログを開いてまだ間もない頃にも書いていたと思う。たしか、「終わらせるため」みたいな。私秘すればいくらでも書き加えられてしまうから。いつまでも終わらないから。勿論私は結局大変に俗な人間なので、愚かしく善良な人間なので、閲覧者があるとそれなりに嬉しい。それがたとえアメリカやベルギーやサウジアラビアのサーバーから泳いできたbot であってもそれなりに嬉しい。でもこの嬉しさは技術や能力に対する見返りの嬉しさというよりは、むしろ競馬やパチンコのそれだなと思う。虚しくなるので題名は検索に色目を使わないくらいのものに留めはしながら、しかしそれでもわざわざTwitter には流すのだ。

こういう卑屈なことを書いているときは、実のところ結構気分が良いときであったりもする(なんたってそれを茶化していられるくらいの気力があるのだ)。なんだかんだ今朝のコーヒーは美味しかった。木のまな板を焦がした木酢の残り香もなんとなく愉快だ。なんとなくオゾンみたいな削ぎの効いた空気もある。人の気配がなければもっと良いだろう。コーヒー、次は何を淹れるか、業務スーパーで買ったハルヴァもまだ。青い葉、枯れた葉。二階の土。バナナの皮はしずかに萎み…。

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