今日は表参道画廊及び同じ建物内のMUSEE Fで開催されている、多和田有希・原田裕規「家族系統樹」を見てきた。
原田裕規さんといえば著書『ラッセンとは何だったのか?』(2013年、フィルムアート社)が有名だが、近年は自作品の制作・展示も精力的にされている。
原田さんが著述や作品でしばしば扱うアーカイヴやフレームと言った切り口は私の関心にとても近いものであり(一昨日書いた東京インディペンデント2019の出品物 https://nanka-sono.blogspot.com/2019/06/3-ikea-tokyo-bay-2019.html もこの流れだ)、今回の展示もやはりそうした視点から興味深く拝見した。
展示については日を改めるとして、それに向けた自分宛の準備も兼ねて、ここでは美術における「フレーム」にまつわる類義語たちをメモ書きしておきたい。
パレルゴン parergon
par(傍ら)+ ergon(作品)元ネタとしてはカント。作品にとって付随的なもの、というくらいの意味で使われ、「絵画における額縁、彫刻における衣服、建築における列柱」がその例として与えられている。後年デリダが『絵画における真理』でこの記述に茶々を入れたことから有名になった。
日本では藤井雅実が画廊「パレルゴン」を主催したことでも知られる。
オードブル hors d'œuvre
hors(外)+ œuvre(作品)食卓での用法は、メインに付加的なもの、ということなのでしょう。
当ブログのタイトルであることでも知られる。
補綴具 prosthesis
pros(付加)+ thesis(置く)補綴具とは例えば義足や義眼の類。
thesis は「テーゼ/アンチテーゼ/ジンテーゼ」のテーゼに同じ。
仮説 hypothesis、挿話 parenthesis、合成 synthesis あたりの親戚たちと並べるとアガる。
パス・パルトゥー passe-partout
どこでも行く、くらいの意味らしい。写真を額装するとき、額縁と写真の印刷部との間にある余白を埋めるように挟まれる、真ん中に窓の空いた厚紙のこと。
ちなみに『八十日間世界一周』で資産家フォッグに付き従ってともに旅する執事の名前がやはりパスパルトゥーだとつい先程知った。何が何やら。
取っ手
額縁とは、イメージを操作するときの取っ手に他ならない。これを示唆する(確か明言はしていたかどうだったか)のはゲオルク・ジンメルによるいくつかの小論である。
彼はその名も「額縁」という素晴らしく明晰な小論を書いているのだが、そこで彼は額縁をぶつかり合うふたつの原理の均衡の場として、建築工学的に描写している。
そして彼はまた「取っ手」という文章も残しているのだが、この小論における「取っ手」の説明が、額縁を語るときのそれとほとんど同型なのだ。というかジンメルの関心の中心が基本的に「内と外との緊張関係」にあり、それが額縁や取っ手、扉といったものに見出されたということなのだろう。
動く付帯物 Bewegtes Beiwerk
アビ・ヴァールブルクの概念。美術作品が強い情念を表そうとする際に時代や地域を超えて現れる「情念定型」の一つの形、といった感じだったと思うが。揺れ動く毛髪や衣服の表現。
仏訳がどうなるのかは確かめていないが、「Beiwerk」はおそらく「by-work(作品の傍ら)」であろう。
この「付帯物」に上で見たような「フレーム」性を読み取ってみることはあながち見当違いでもないように思う(きちんと追っていないので断言は避ける)。
現代の美術作品でも、特に美少女キャラ表現において、髪は強力なフレームとして機能している。
個人的には映像作家の佐々木友輔さんによる「揺動メディア」論との親近性を予感している。
まだまだいくらでもあろうがひとまずこの辺で。
まだまだいくらでもあろうがひとまずこの辺で。
0 件のコメント:
コメントを投稿