2019年6月17日月曜日
*この期に及んで夏休み日記:その2* 脈絡が無い
気紛れで環七沿いを西新井大師へと歩いていた道中、突如知人から連絡があった。日暮里・舎人ライナーに千代田線を乗り継いで、六本木に向かう。
彼は「技術書を小説のように読んでしまう」自分を愚痴っていた。それは多分こういうことなのだろう。個々の文の意味することは見て取れる。次に進むと、やはり見て取れる。以下同様。しかし結果として個々別々に見て取られた風景は、ただバラバラに併置されるばかりでその間をつなぐ脈絡が掴めない。
スクリーンに映し出されるひとコマひとコマは見えているつもりだが、それらがひとつづきのアニメーションとして結果しない。
ともに見慣れた場所である足立小台と西日暮里の風景は、それらを結ぶ日暮里・舎人ライナーの乗車の経験によって滑らかにモーフィングされたりなどはしない。私は気付いたときにはどうやらもはや足立小台のそれとは呼べない風景の只中にいるし、また気付いたときには普段西日暮里のそれと呼んでいる風景の只中にいる。
あるいは夕刻、六本木を離れ、私たちは明治神宮外苑を新宿方面へと歩いていた。昼から夕へ移ろう空にiPhoneのカメラを向けてはこの美しいグラデーションを写し取りたい、いっそのこと今脳に受けた光景をそのまま印画紙に焼きたいという彼の無念には大いに共感するものの、実のところ仮に技術的にそんなことが可能であったところで、いざ吐き出されてくる画像は大したものではないだろうなと思う。
私がひとまず感じているらしい視覚イメージ、私がそれを感受する限りでのみ存在するそれは、たとえば夕暮れの空の紅から漆黒にかけての推移を、正に実に推移として表現する。というのはつまり、まず両端にそれぞれ紅と漆黒とを配した上でそれらの間を割っていくような後付けのグラデーションではなしに、その両端が何であれ、ともかく今目を瞑って画面をなぞる指先に感じるような推移であり、微分計算で0へと漸近する極限に逆立つ矢印の毛並みの感触であり、それはいざ始点も終点も一挙に一画面におさめようとカメラを向けた途端、押し黙ってしまうものなのだ。
切れ目ない町並みの見えの移ろいの只中にも、望むならば私たちはその都度一枚の絵葉書を切り出す事ができる、そう思いがちだ。しかし素晴らしい町並みに出会い、この感動をぜひとも形に残しておこうとカメラを取り出したは良いがいざ撮ろうとすると特別撮るべきところも見当たらない。撮ったところでその町並みの確かに感じた魅力はしかしどこにも写っていない。画角が狭かったのかしらんとパノラマや全天球カメラを試したところで印象はいよいよ散漫にぼやけるばかりで像を結ばない、そうした経験は誰にでもあるだろう。
それでもそれを撮ろうとするならば、その継起を適当な間隔で輪切りにした上で、それらを斜め上から撮ることになる。時間を空間に投射するのだ。
例えば新宿南口から西新宿一丁目交差点へと下る通勤者の群れや原宿駅から見下ろす竹下通りの買い物客に観光客が喜々としてカメラを向けるのは、確実にそのスポットの地形ゆえの現象である。東京の人混みという継起的な経験が、大きな高低差という地形的条件に助けられて、ひとつの見世棚に陳列され、印画紙へと曝け出されている。
あるいは一まとまりの経験を一つの単位として、一つのコマとして、他の経験=コマとの関係の内に配置する。これは「六本木」の風景、これは「青山霊園」の、これは「明治神宮外苑」の、これは「新宿」の……。以上は命名法に一貫性はない。それでも別段問題はない。その都度その都度の仮留めの群れがある、そのことが重要なのだ。
ところでやはりその日行った根津美術館の庭園では、大きな高低差のある敷地の見通しはしかし木々や点在する庵によって周到に断片化されていた。かといって「絵になる」風景の撮影スポットのような特権的な場があるわけでもなく、散策者はひたすら奥へ奥へと横滑りさせられ、道を辿っていくことになる。風景の「ある程度」への離散化。
そうこうしている間にも私たちは六本木の雑然、霊園の暗がり、外苑の木々のざわめきを抜け、あれほどまでに青かった空は既に暗く沈み込んでいた。そう言葉で縁取ったその内実を私はもう思い出せない。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿