早速更新を二日間もさぼってしまった。あまりに眠かったのだ。どっか行って帰って片付けしてるともう寝る時間ですよね。
割りと何度も見に来てはいるはずなのだが、今回は意外と真新しい作品にちょくちょく出会って新鮮だった。
『モダニズムのハード・コア』で岡崎乾二郎が論じていた、アンソニー・カロのテーブル・ワークも見られたし、いつの間に収蔵していた横山裕一の原画や高柳恵里も見られた。
気になったもののひとつが伊藤義彦による一連の作品だ。
ハーフサイズカメラ(通常の35ミリフイルムの一コマ分を更に半分ずつ使う。2倍の数撮れてカメラ本体も小型化できる)で撮影したフイルムまるまる一本分を並べてそのままのサイズで印画紙に焼いた、いわゆるコンタクト・プリントなのだが、各ショットが印画紙のどの位置に配されることになるかを把握し綿密に計画の上、撮影されており、結果として出来上がった写真の配列は全体としてとてもリズミカルな効果を持った一つの画面として構成されることになる。
ところで私は昔から、小さい写真というものに何となく惹かれてしまう。たとえるならそれはあたかも植物の組織のようではないだろうか。縮小されて焼かれた像の、色彩と形態の間の差異もろとも押しつぶしてしまいそうな光の凝縮。その粒子の一粒一粒が像を、光を、その凝集の内に孕んでいる。
思い浮かぶ写真の経験をいくつか上げておこう。
まずは早稲田大学の會津八一記念博物館でみた「写真家としてのル・コルビュジエ」展での、コルビュジエ自身による写真のコンタクト・プリントの数々。
小さなプリントの矩形を更に内に反復するような建築物の窓の連続。
トリミングやホワイトバランス等の調整の指示が書き込まれているのも良かった。
最近では東京都現代美術館「百年の編み手たち」展に出展されていた、柳瀬正夢による満州の風景を写した写真。
展示方法が興味深く、それらの写真が正方形のガラスケースに、碁盤の目に合わせるように縦横に並んでいる。写真自体は小さい版の長方形で、それをあるいは縦に、あるいは横に使って撮影したものが入り混じっていおり、しかも写真は経年故か長手方向に、あるいは対角線方向に反り返っているのだが、上述の並べ方故にそうしたノイズがむしろリズミカルで小気味よく、今思えばそれは伊藤義彦の作品を見たときの印象とよく似たものだったかもしれない。
参考
国立近代美術館 所蔵作品展
會津八一記念博物館 没後50年「写真家としてのル・コルビュジエ」展
東京都現代美術館「百年の編み手たち -流動する日本の近現代美術-」
白井かおり「[翻刻]柳瀬正夢「満洲日記」(一九四二年)」、『フェンスレス オンライン版 創刊号』、占領開拓期文化研究会
「写真の上の植物、あるいは像の最小」
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