昨日までの曇天も明けて冬晴れの今日、寒さも一緒に幾らか和らいだようにも感じるが、それでもココナッツ油、オリーブ油は当然として、椿油までが白く濁っている。色々な油を凝固点の高い順に並べて観察してみたいと思う。
昨夜の夢。先ほどまでは覚えていた気がするのだが、忘れてしまった。屋外だった気がする。
12:00 現在、コーヒーは二杯。
日記とはなんのために書くものだったのか。いつかの日に現在を思い返すためか。現在から先忘れないためか。過去を現在にあって思い出すためか。現在の、決して少なからぬ時間を、現在ではない時間のために費やすることの意義はどのようなものか。そもそもそんなことがどうして可能だというのか。書くためか。読むためか。残すためか。棄てるためか。
どこかの時点で確かにあったものが毀損されたり、失われたりすることは、初めから何も無いこと、もとより何も無かったことにされることよりも、一般的には遥かに強く嘆かれる。ゴミ袋に突っ込まれた期限切れの弁当、焼け焦げたHDD、泥水に浸された書物や芸術作品、根腐れした松の古木、自ら死を選んだ子供の遺骸、そうしたものを前にして、私たちはともすれば、いっそのこと初めからそれらが生まれたりなどしなければよかったのに、と嘆いたりする。これは不条理といえば不条理だ。喪失の徴し、灰、それは歴史書を常に嵩張らせて止まない夾雑物だ。
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