2021年1月10日日曜日

20210110

12:00 現在、コーヒーはすでに一杯。

11時間ばかりの睡眠。


また夢を見た。きっとまた学校。分厚いH形鋼を組み合わせた、太々と角柱状に立ち上がる校舎。外周部分を廊下が環状に巡り、リノニウム張りの床材の色が壁や天井に反射して一面に緑色だ。所々が小さな吹き抜けになったり、半階分高くなったりして、鉄製の手摺りと長短の狭い階段が至る所に絡み合う。通路はしばしば小部屋に塞がれて、扉を潜ったの内側は鉄錆臭い廊下と対照的に、使い込まれた木張りが薄暗く、段ボール箱や書類の山で居心地良くとっ散らかっている。廊下に周囲を囲われたフロアの中心部分は1メートルほど低くなったところにやはり緑の保護ネットを巡らして、野球部やらの練習場やらなんやらになっているようだ。


一昨日夜更かししたにも関わらず普通の時間に起床した昨日は全く体調が優れなかった。起きた直後こそ、してやったりと得意なのだが、その後丸一日の生産性はいつもに輪を二、三に掛けて最悪だ。

最近YouTube で公開された講義を少し流し聞きしたりした。この春以来、多くのこうしたコンテンツが一挙に容易に手の届くものになった。それ自体は、それを求める側にとっては良いことなのだろうが、同時に正直、少し空恐ろしい。

ご存知だろうか、18時から始めて2時間の講義の映像を視聴したとして、終わる頃にはなんともう20時なのだ。これは私には戦慄すべき事実であると思われる。現地に足を運ぶとは、そうした戦慄をなんとか宥め誤魔化すためにするものなのだろうとさえ思う。まだ外がいくらか明るいうちに現地入りし、そして出た頃にはとうに真っ暗だ。その暗闇にはなんだかよくわからない類いの高揚感に紛れて、あらゆる種類の諦めがどろどろと流し込まれている。


やはりYouTube上で、こちらはリアルタイムに配信されたギャラリートークも聞いた。仙台の広瀬川右岸、青葉山公園の立ち退き問題。私が2年前、2019年の3月に少し歩いたあたりからいくらか下流の一帯だ。

ここ10年来の私にとっての日本のイメージは、関東、常磐線沿い、そして岐阜でほぼ完結している気がする。

もう15時だ。一体なんなのだろう。






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