『シン・ゴジラ』で描かれる日本に私たちがどこか違和感を覚えるとしたら、それはあの日本が「ゴジラを知らない日本」であるからだろう。
その生物を指してめいめいに言葉を交わす人々を見るたびに、私たちは奇妙なもどかしさに苛まれる。「ゴジラ」の呼称を発表した場面では、もはやこそばゆささえ覚える。
ゴジラを知らないがゴジラがいるあちらの日本、ゴジラを知っているがゴジラがいないこちらの日本。
しかしもしゴジラがいると考えることができるとしたらそれは一体どのような形でだろうか。私たちは果たしてゴジラと出会いうる私たちでありうるのだろうか。
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